正しいケアをあり方を学び自他を助ける『援助者』|『英雄の旅』の12のアーキタイプ:4
神話学者キャンベルが発見した『神話の法則』は、後に、ハリウッドに関わるボグラーによって『ヒーローズ・ジャーニー』として体系化されました。世界中の神話で偶然とは思えない一致をみた法則が、映画のシナリオを選別するために、またシナリオ創作のテンプレートとして用いられました。
神話の法則は、名作物語の法則でもあった。しかし、それだけでは、ありませんでした。
私たち人間の、現実の人生にまでも一致をみることができたのです。
またヒーローズ・ジャーニーは、私たちの現実の人生体験だけでなく、心にあるイメージ世界にも用いることができます。
キャロル・S・ピアソン著『英雄の旅』に説明されている12のアーキタイプのご紹介も、これで4つ目となりました。
ここでは『援助者』をご紹介していきます。
このページでの引用は、特別な記述のない限りすべてキャロル・S・ピアソンの『英雄の旅』よりの抜粋となります。
はじめに
本について興味のある方は 自身の内界と向きあい人間的成長を促すための本 をご覧ください。
12のアーキタイプは、生まれたての赤ん坊のような純真無垢の『幼子(おさなご)』、見捨てられる体験によって自立を目指す『孤児』、これが自分自身であるという領域を創りあげ守るための『戦士』とご紹介してきました。
アーキタイプは、それぞれが独立した存在です。どれか一つのアーキタイプが必要に応じて目覚めると、その活動は前面に表れ、他のアーキタイプと入れ替わるようにも見えます。
まるで、幼子が孤児になり、戦士へと成長していくようにも見えるのです。
一人の人間の成長としてこの移り変わりを捉えてみると、受け身から能動へ、自分自身を世話することのできない状態から他者を攻撃できるまでになっていっているようにも見えます。
このような時間的連続性のある成長として捉えるのも、示唆に富み悪くはないのですが、私たちの肉体と違い、内界には時の法則はありません。
4つ目としてご紹介する今回の『援助者』は、戦士の後に目覚めるとは限りません。
一般に、肉体的に男性であると『戦士』が目覚め、健全に成長していく途中でチームを作ったりと他者との関わりから『援助者』と出会うと云われています。
肉体的に女性であると先に『援助者』が目覚め、その後の必要に迫られて『戦士』と出会うことが多いと云われています。
肉体的な性別にかかわらず、どちらが先に目覚めるかの主たる要因は、何のために闘うのか、その対象の違いです。
戦士は自分の境界線を創造し、それを守るために闘いを始めました。
援助者はどうか? 見ていきましょう。
援助者との出会い
他者の世話を必要とする責務、例えば子どもが生まれて親になる、お兄ちゃん・お姉ちゃんのなる、ペットを飼って世話をする、あるいは自他の何かしらの苦しみに気づいたとき、「面倒をみなくてはならない」役割を担ったときや「助けたい」と思い願ったときに、援助者が目覚めます。
援助者のイメージは、理想の母親でしょう。
愛情深く、子どもの才能や好奇心を見抜いて育てようと気を配り、いざとなれば命まで投げ出す。
子どもが赤ん坊のうちはつきっきりで世話をし、いかなる要求にも応えようとするが、成長してくれば見守りと導きが主な役割と承知している。段階を踏まえながら、確認しつつ、手を離していき、しかし変わらぬ愛情を注ぐ。
そういった理想的な親像が、援助者をリアルに思い描く助けとなるでしょう。
援助者は母性と関連付けて想像するとわかりやすくはあるかもしれませんが、父性は違うということではありません。
理想的な父親像がもつ、例えばルールやスキルなどが習得できるよう、献身的に支え導くことも必要とされます。
産んで育てる親だけでなく、保育士や教師、師匠や上司、心理セラピストやカウンセラー、介護士なども、援助者のイメージです。
これらのどれもが、手取り足取りの世話だけでなく、自助を促し、できるようになれば手を出さず見守るという役割です。いざというときには身を挺して相手を守り、困ったときには駆けつけて助けとなり、いつでも帰れる居心地のいい場所を提供することもあるでしょう。
援助者の特徴
援助者は、人々が「自分には居場所がある」「自分には価値がある」「自分は大切にされている」と感じられるように力を貸し、個人と地域全体との関係を深めるような形でコミュニティをつくりあげる。援助者は、人々が安心してくつろげるような雰囲気と環境をつくりあげるアーキタイプなのだ。
援助者には下記のような特徴があります。
- 母性と父性を兼ね備える。
- 自分より優先的に他者を気遣う。
- 無償の愛と奉仕。
援助者が目指すのは、人を助けることです。愛と自己犠牲を通じて他者へと影響を及ぼすことです。
愛情や慈しむ思いの深さから、いざというときには自分を犠牲とすることも厭いません。
しかしこれは、あくまでいざというときであり、常ならぬことです。
援助者に取り憑かれてしまうと、自分自身をおろそかにしがちです。
自己中心的だったり、恩知らずな態度を恐れるあまり、自分の望みよりも相手の要求に応えることを優先し、自分自身を見失うこともあるでしょう。
援助の対象に対しては、否定的な側面としての過保護・否定的なイネーブリングと呼ばれる行為に走りやすくもなります。
相手が自分で解決できる問題をも前もって取り除くような行為は、その人自身の自助を妨げます。他者の成長を阻害する行為と言えますし、当人の問題行動を継続させ悪化させるといったことも考えられます。
さらには、「あなたのためこんなに頑張ってるのに」など犠牲を払っていることをアピールして相手が罪悪感を抱くよう仕向け、人を操ったり自分の所有物にしようとしたりが無自覚な狙いであるケースもあります。面倒をみることを口実とした支配であり、共依存の関係を強いています。
このような否定的な姿は、ユングの『グレート・マザー』の否定的な側面に見ることができます。
救ってあげたいという思いが強迫観念になっていくと、自分を殉教者とみなし、喜びや楽しみなどを自ら排除しようとすることすらあります。
援助者の否定的な側面を感じたら、孤児が癒されているか、幼子や戦士は健全に育っているか、などをチェックしてみるのもよいでしょう。
援助者の3つのレベル
私たちは幼子の力を借りて自分の望みを知り、孤児から与えられた傷によって自分の成長の輪郭を明確にする。戦士は、目標と優先順位を設定して、それを守るために闘いを挑み、自分が選んだアイデンティティを確立しようと奮闘する。援助者は犠牲を払うことによってそのアイデンティティに磨きをかけていく。(中略)だが、実際にすべてを引き受けたり、すべての人の要求に応えることは不可能だ。援助者は、一つのもののために別のものを諦めるという取捨選択をしなくてはならない。
レベル1: 自分の望みや欲求を犠牲にしても、他者を助けようとする傾向があります。
すべての人を助け、あらゆることに気を使い、必要とされればいつでもそばにいようとするでしょう。すべてを同時にするのは不可能ですが、取捨選択の責任は負いたくないと思うかもしれません。
自分の目の前の相手の要求に応え続けようとし、燃え尽きとも言える状態になっていくかもしれません。そこでやっと「もうこれ以上は無理だ」と言えるようになるでしょう。
レベル2: 他者を気遣う行為によって自分をすり減らしていくのではなく、豊かにすることができるよう自分自身を慈しむ術を学びます。
一時期、他者の世話を拒んででも、自分のケアに専念するかもしれません。この間に、他者にただ使えるやり方ではなく、力を与えるやり方を覚えていきます。
レベル3: 近しい人々だけではなく、より広範囲に対象を広げます。コミュニティを形成する能力を身につけるか、既存のコミュニティに参加するという形で、一人ですべてを背負わなくとも大丈夫な環境を作るでしょう。そして、特に自分が手をかけるべき対象を選んだり、どこにどれぐらいの労力をさくかなど取捨選択の責任を負おうとする意欲も出てくるでしょう。
高いレベルに到達した援助者は、自分という人間や、自分が望むことを知っているが、自己の利益よりも他人を憐れむ気持ちのほうがはるかに強い。自分を尊重していないからではなく、他人を気遣うことこそが自分の価値を表現する最高の手段になるからだ。援助者に備わっている慈しみの心は、自衛本能よりもはるかに強力なのだ。
最高レベルに到達した援助者は、他者への愛のために、喜んで自分の人生を差し出そうとするでしょう。ただし、そう求められるのはごくごく異例なことだと認識しておくべきです。ほとんどの人にとっては、自分に備わっている力を世界のために発揮するよう求められるだけです。
キリストやガンジーやマザー・テレサなど、偉大な援助者に憧れるのは、かまいません。しかし最高レベルにまで達していれば、己の身の丈はわきまえているはずです。
公共の利益のために犠牲を払うという行為が、自分をケアすることの代替行為になってはならない。援助者は、ケアとは自分に対するものから始まり、関心の対象を螺旋を描くように拡張させながら外に向かって威力を発揮するものだと知っておく必要がある。
援助者の課題
援助者から学ぶ大きな教訓とは、与えられるものを惜しみなく与え、それど同時に、正確な自己認識力を育んで自分の限界や優先順位を見定める力を身につけろというものだ。
誰も傷つけずに与えるのが、援助者の課題です。
私たちは外側の対象に関心を引かれ、援助者を目覚めさせました。その後、レベル2の援助者に見るように、私たち自身こそが援助が必要であると気づきます。
援助者が自分自身へと向かうと、内界の子どもたちの世話をしてくれるようになります。
癒されていない部分の世話をし、労りの言葉をかけ、楽しいことを提案してくれたり、必要なときに休息を取るよう指示してくれることもあるでしょう。
まず自分自身にとって最適な援助者を育てるよう、心がけることです。
目覚めたばかりの援助者は、それほど有能ではありません。必要なときに必要なものを提供する術を知らないかもしれないし、行き過ぎた世話を焼くこともあるでしょう。自身が気づかずいることを見抜き、成長と発達を助ける方法を見つける能力を伸ばしてから、援助者を他者へと向けても遅くはありません。
自分自身へと援助者を向けることのメリットは、ふたつあります。
ひとつは、自身で練習することによって他者へのより最適な援助の形を学ぶことができること。これによって、自他に否定的な働きかけをしてしまう可能性を減らすことができます。
もうひとつは、自分自身を気遣うという健全な感覚が呼び覚まされることです。相互作用として、援助者が健全に成長していくのを助けることにもなるでしょう。
私たちは援助者から、憐れみと寛容さを教わります。
最も崇高なアーキタイプである援助者ですが、その存在や活動が脚光を浴びることはまずありません。
健全な成長を遂げれば遂げるほどに、その地味さ地道さがよくわかってくるでしょう。
さいごに
援助者は、自我の発達に関わるアーキタイプの中では最も崇高な存在だ。と同時に、自我への関心から魂(ソウル)への関心へと移り変わるきっかけを与えてくれるアーキタイプでもある。
ユングは『人生の前半は自我の実現を目指し、後半は自己の実現に取り組む』というようなことを言ったそうです。
自我とは、一般的には「これが自分だ」と思う自分。自分で自分だと思っている部分を指します。
自己とは、自我よりもう少し範囲が広がり、自分自身では意識できていない・気がついていない部分までを含みます。無意識の欲求や、これまで意識されることのなかった望みなどを含めての“自分”です。
援助者は、他者を始めとする世界への愛を開くきっかけともなります。他者を通じで、これまで知りえなかった自他の未知の領域へと目を開かされるでしょう。
援助者と出会うことで、私たちは、幸福とはなにか? この世界をもっとよくするにはどうしたらいいのか? 答えを求め、ヒーローズ・ジャーニーの特別な世界へと足を踏み入れることになります。
ここまでで、自我を形成するのを助けてくれる4つのアーキタイプ、幼子(おさなご)、孤児、戦士、援助者のご紹介を終えます。
ヒーローズ・ジャーニーの基本図になぞらえるなら、日常の世界はここまでです。
ここから先は、より全体としての自分を創り上げるための4つのアーキタイプをご紹介していきます。
私たちが日常の世界から特別な世界への境界線を越えるとき、私たちの『探求者』が目を覚まします。