最近よく見ていただいてるページはこちら

  1. 2018年イチオシの国産WordPress無料テーマは Luxeritas
  2. 挑戦してみる!Stinger8カスタマイズ1|トップページ編
  3. プラグインでここまでできた!Shortcodes Ultimate (例2)目を引く著者情報を作成
  4. Luxeritas にしてみて気をつけるといいかもしれないこととか
  5. httpsなのに緑鍵にならない原因と対処の記録|ブログを独自SSLに【後編】

境界を越え本物の証を探し求める『探求者』|『英雄の旅』の12のアーキタイプ:5

ふと、何かが足りないかんじがする。不安や悩み事がないわけではないのだけれど、それなりに穏やかな毎日に。
夢から覚めたかのように「ここで何をしているんだろう?」「今まで何をしてきたんだろう?」と思ったことはないですか?

キャロル・S・ピアソン著『英雄の旅』 より12のアーキタイプをご紹介するシリーズの、今回は『探求者』です。

このページでの引用は、特別な記述のない限りすべてキャロル・S・ピアソンの『英雄の旅』よりの抜粋となります。

seeker

はじめに

幼子』『孤児』『戦士』『援助者』は、自我=「これが私だ」という感覚を育むのを助けてくれるアーキタイプでした。

『探求者』以後の4つは、より広い範囲を含めた“自己”を創り上げていくのに手を貸してくれるアーキタイプになります。
ヒーローズ・ジャーニーの図に照らしてみると、日常の世界から特別な世界へと入っていくことになります。

ここで、私個人の見解をお話しさせてください。
まぁまぁ順当に育ってきたならば、最初の4つのアーキタイプ、それぞれの段階をそれなりにたどっているはずです。「これが自分だ」と思える自分があるはずです。つまり、自我はそれなりにできている。なのに、なぜ“自己”を創らなければならないのか?
自我とは? 自己とは? という、心理学的な用語の意味にこだわらずに想像してみていただきたい。「自分とはなんなのか?」という疑問だと思ってください。
もっと具体的な質問にしましょう。「初対面の相手に、あなたは自分をどう紹介しますか?」 これも、自分と相手がどういった立場にあるのかで変わってくることだとは思いますが、たいていの人が出身地や居住地、仕事や役職を言うそうです。あるいは、血液型とか生まれ年などでしょうか。趣味や興味のあることをお話される方もあるみたいですね。
意地悪な言い方かもしれませんが、出身地は“私”ではありません。職業や役職も“私”ではありません。“私”とは、名前さえなくしても“私”です。
哲学や禅問答のように思えるかもしれません。具体的に答えるのに窮する答えを求められているわけですね。
私たちは『どこそこの誰だれ』として生を受けます。みんな、どこかの誰かの子どもとして生まれます。なので、“私”というのは『どこそこの誰だれ』という“役割”を基礎として築き上げられてきたものだと思うのです。
誰かの子ども、どこかの学生、ある会社の社員、誰かの親、そういった“役割”がなくなってしまったとしても確かに存在する“私”とは何か? 何のために“私”は在るのか? 探求者は答えを求めます。

私たちは、権力者や同僚たちに気に入ってもらえるような形で旅を始め、経済的な成功や地位を確保したまま、家族や友人たちに喜んでもらえるように歩み続ける。だが、周りに合わせて生きていると、いずれは、内側にいる本当の自分と、周りから期待されている行動がかみ合わなくなってくる。
(中略)
周囲に溶け込んでいるかどうかは、他人とどれだけ似ているかという観点から定義される。逆にいえば、個性というものは、他人とどれだけ似ていないかという観点から定義される。ということは、周囲に適合していない部分こそが、私たちのアイデンティティ━━私たちの自己━━ということになる。

探求者との出会い

探求とは憧れの気持ちから始まるものだ。私たちは満たされない思いに苦しんだり、閉塞感や疎外感やむなしさに苛まれる。自分に足りないものを何と呼べばいいのかわからないまま、その神秘的な何かを手に入れたいと願うこともある。

私たちが探求者と出会うタイミングは、少なくとも、人生のうちで2回あります。
1回目は、10代後半。
たとえば外国へ行ってみたい、大きな世界をこの目で見てみたいというような夢を見て嬉々として旅立つこともあるでしょう。
何か偉大な者になることや、歴史に名を残すような偉業を達成する可能性だって充分にあるパワーにあふれた時期です。
あるいは、欠乏感から真実の愛を求めたり、生きるのを支えてくれる思想を求めたりを行動に移すことができるようになっている時期でもあります。
どんなことがきっかけであっても、自分の人生を生きようとする冒険を始めます。
探求者が辿る道、出会うものが何であれ、自身の奥深いところにあるものを豊かに育む冒険となるでしょう。

2回目は、中年期です。
若い頃の憧れや夢を追いかけた結果である、仕事や育児などにひと段落し、自分自身を再評価する時期です。
知識のみだった死が、個人的な現実として認識され始める頃でもあります。

探求へと誘う声はさまざまな形で届けられる。その内容は常に同じでも、もっと高いレベルで力を発揮しなさい、もっと意味と深みのある生き方を見つけなさい、あなたとあなたの周囲の環境が手を携えてつくりあげてきた社会的なペルソナの奥にいる本当の自分を見つけなさい、と呼びかけてくる。

人生のどの時期であっても、探求者が求めるのは、かつての幼子が住んでいた楽園です。私たちは、記憶にあるなしにかかわらず、自分の楽園を胸に抱いています。
より良いとはどういうものであるかを具体的に口にすることができなくとも、求め続けている何かがある。衝動は、向上つまり上方向か、外つまり周りの環境へと向かうようです。完璧な理想郷を目標とし、より良い未来、より善なる人間、より完成度の高い世界を築こうとするでしょう。
ただし、物質的な何を手に入れても渇望が満たされることはないでしょう。探求者の求めるものは、外にはありません。

「自分には何かが欠けている」「結びつきを断たれている」「分断されている」という思いがあるからこそ、私たちは完全なものや結びつきに憧れる。その憧れは外界の楽園を手にいれたいという欲求に投影され、本当の問題は、自分の意識を自我の現実を超えたところまで広げることだと気付くまでは満たされないものなのだ。私たちに必要なのは、自分が求めるものを内界で見つけることであり、それができなければ外界の楽園は永遠に見つからないだろう。そのためにも、英雄の人生を歩もうという呼び声に応えなくてはならない。

2度目に探求者が活性化する時期は、若い頃に比べ、冒険に出にくくなっている時期でもあります。
ある人は社会で責任のある役職に就き、ある人には養わなければならない家族があるでしょう。家のローンを抱えているかもしれない。親の介護に取り組んでいるかもしれない。
冒険に出るなんて夢でしかない、無理だと証明する条件をいくつでも並べてみせる環境に置かれているでしょう。
しかし、冒険へと誘う呼び声は執拗に繰り返されます。頻度を増し、大きさを増す一方です。
こうなってくると、たとえ家庭に取り立てて問題があるわけでもなく、仕事も順調、子供たちも手が離れてきて穏やかな日々を送っていたとしても、自分の胸に隙間があることに気づくでしょう。理由ない孤独を感じたり、焦燥感に悩まされ、空虚な心を抱え、私たちはぼんやりと想うかもしれません。
「なんのために生きてきた・生きているのだろうか…」と。

私たちに必要なのは、探求者が探求の果てに見つけるもの、本物の自己です。
私たちが自分に正直になって、本物の自己を生み出せば、決して満たされることがないように感じられた心の隙間は満たされます。

冒険への呼び声を無視し続けていると、探求者の否定的な側面に取り憑かれるかもしれません。

影の探求者は、私たちに強迫観念を抱かせて、まわりから孤立して孤独を味わうような自立へと駆り立てようとする。その欲求が拒絶されると、今度は、肉体や心に何らかの症状を引き起こす形で働きかけてくる。

これまで築き上げてきた環境を捨てることは難しい…もういい歳なのだから…無責任なことなどできない…どんなに理由を見つけ冒険を拒絶しようとも、探求者は私たちを否が応にも旅立たせようとするでしょう。
なるべく穏やかな形で旅立ちたいのなら、呼び声にはできるだけ速やかに応じた方がよいでしょう。
冒険の旅に出ることは、実は必ずしも大切なものを捨て去ることではないのです。

探求者の特徴

「この場で本心を口にしたり、本当にやりたいことをやってしまったら、仕事を(家族を/友人を)失ってしまうのではないだろうか?」━━そんな疑問を抱いたことがある人は大勢いるはずだ。探求者の予備軍は、仕事や家族や友人たちからは得られないものに恋焦がれながら、それを追い求めるのであれば仕事や家族や友人たちを手放さなくてはならないと信じ込んでいる。

「私とは何者であるか?」の答えを求める旅は、往々にして慣れ親しんだ自分や家族・友人や仕事などを捨て去る覚悟を要します。本物の自己を求める姿は、他者の目には奇異に映るでしょう。理解を得られない孤独感は、探求者を一層の刺激するでしょう。

探求者の奴隷になってしまうと、自分の肉体を傷つけ、誰よりも愛している相手に悲しい思いをさせ、慎重さを(ほぼ)完全にかなぐり捨てて、今よりも大きな存在になりたいという欲求を優先させるようになる。

内なる探求者は、宇宙の真実と人生の意義を見つけるためには手段を選ばないはずだ。その欲求があまりにも強いために、いざとなれば、大切にしている人間関係や苦労して手に入れたものを━━家や仕事、友人や恋人を━━犠牲にすることもいとわない。

探求者の危険性はここにあります。心の飢えのあまりの激しさに、自分はおろか、大切な人々までもがどうなろうと構わない、まさになりふり構わぬ姿へとエスカレートしかねない。
探求者が別れを告げなければならないのは、慣れ親しんだ自分自身の生き方や考え方であり、現実の肉体ではありません。大切にしている家族や友人たちそのものではなく、彼らへの自身の感情の方です。現実的な物理的な別れではなく、精神的な別れであり距離を置くことなのだとわきまえておく必要があります。
探求者に訪れるのは、古い自己の精神的な死であり、新しい自己の誕生です。決して、人間の基本的欲求をおろそかしてはいけません。
必ずしも、大切な人を悲しませたり捨て去ったりしなくてもよいのです。

内なる探求者とは物事の意義を追い求める人である。快適な暮らしや成功を手に入れたとしても、人生に重要な意義や価値を見出せなければ、内なる探求者が心の安らぎを得ることはない。

私たちが自分自身を越えた確かなものを体験するまでは、内なる探求者を満足されることはできないだろう。私たちは探求者に駆り立てられるようにして、トランスパーソナル体験へと向かっていく。

『トランスパーソナル』とは、直訳すれば「個の超越」です。これには魂だとか霊などが含まれ、私たちは「スピリチュアル」「精神世界」などという名前で聞いたことのあるものです。
当ブログではサイコシンセシス(統合心理学)のご紹介の折に、上位無意識を「トランスパーソナル領域」として、少し触れています。
探求者がトランスパーソナルへと向かうのは、多くのばあい、自分自身のこととして死を想い始める年代、中年期以降になってからでしょうか。

探求者の3つのレベル

レベル1: 探索、放浪、実験、研究、新たな挑戦

レベル2: 野心を抱く、成功への階段を登る、自分の能力を最大限に発揮する

レベル3: 霊的な探索、変容

探求者が目覚めたばかりの頃は、自分が何をしたいのかすら検討もつかなくなっているかもしれません。そんなときには新しいことへ挑戦し、あれこれと試してみて、何かが心の琴線に触れるのをキャッチするのがいいかもしれません。

自分という人間や自分自身の旅に本気で取り組んでいない人間は大勢いる。本気で生きてみたいと思うのなら、放浪者として無為に過ごすのをやめて、純粋な気持ちで探求者を目指さなければならない。その時が来れば、探索の旅はそれまでとは違う深みを帯びてくる。突如として、霊的な深みや本物の証を求めるようになり、自分に必要なのは単なる環境の変化━━仲間や、仕事や、自分の居場所に関わる変化━━ではなく、自分自身が変わることなのだと理解する。

そうなるまでに、さまざまな試練が訪れます。旅の準備の段階、幼子・孤児・戦士・援助者の教訓をしっかりと学んだかどうかが、繰り返しテストされます。
「ああまたこれか」と、うんざりするような出来事に見舞われることはないですか? どうしても関わらなければならないような条件で、苦手なタイプの人が次から次へと現れるとか? 人や場所は違うのに、なんだか同じような問題に行くてを阻まれるとか?
私には、ありました。その度に「ここで学ばなければならないのは何だろう?」と考えたものでした。私自身の経験から言っても、不思議なことですが、何か具体的にこれとわからなくても、学ぶことができれば終わります。

探求者の課題

探求者は順応を恐れます。順応とは環境や周りの人々に合わせて自分を変化させることです。
探求者の求める本物の自己は、自分の内側から現れ、外側の言動を変化させます。
これらは相容れないもののように思えます。しかし、決して相容れないのかというと、そうではありません。自己でありながら周囲と調和することもできますが、それは探求者の役割ではないかもしれないですね。

課題は、より深遠で重大な真実に忠実に生きることですが、深遠や重大さは個人を越えたものです。ここで云われている『重大な真実』とは、サイコシンセシスで云うトランスパーソナル領域にあるもの、つまり、愛や善や美とつながっているでしょう。
探求者は内なる呼び声「高みを目指せ」に反応し、より良い人生や生き方を探索します。人類全体のために貢献しようとする人間の、一側面を表してもいます。

さいごに

探求の旅の多くは、孤独なものでしょう。人と違っている部分=本当の自分を見出す旅だから。
でも、忘れないでください。同じように孤独な旅をしている人々がいます。どこかで、出会うことはないかもしれない仲間たちが、今日在るのだということを。独りで歩いているこの道は、かつて誰かもまた一歩一歩を踏みしめたものであるのかもしれないことを。

探求の旅は霊の呼び声であり、その声は、「復活と変容を体験しよう」「古い自分を捨てて新しい自分に生まれ変わろう」と呼びかけてくる。こうして、探求者は旅のどこかの時点で通過儀礼を体験する。

卵の殻を割らなければ、雛は孵りません。新しい自己が誕生するには、それまでの古い自我が壊れる必要があります。自我にとっては死でもある。
自分で自分を死に至らしめるのは、とてつもない恐怖があります。自我は、それこそ必死で抵抗します。
どんなに抵抗しようとも、精神的な死はもたらされます。死をもたらすのは、次の破壊者の役割です。