個人という境界を創造し警備する『戦士』|『英雄の旅』の12のアーキタイプ:3

2017.11.9

キャロル・S・ピアソン著『英雄の旅』より、12のアーキタイプをご紹介しています。
本について興味のある方は こちら をご覧ください。
これまでは順に『幼子(おさなご)』、『孤児』と進め、今回は3つ目のアーキタイプ『戦士』についてです。

このページでの引用は、特別な記述のない限りすべてキャロル・S・ピアソンの『英雄の旅』よりの抜粋となります。

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はじめに

「戦士」と聞いたとき、パッと思い浮かぶのはどのようなイメージでしょうか?
私個人は、スカイリムというゲームを好んでいるので、重い鎧を身につけたマッチョな男性が脳裏に浮かびます。片手には剣を、もう片手には盾を持った姿です。
しかし、ここでご紹介する『戦士』は、男性とは限りません。

私たち人間の内なる世界には、性別はあるのでしょうか?
有名なところでは、肉体的に男性である方の内には“アニマ”が生き、肉体的に女性である方の内には“アニムス”が生きるとも云われています。
アニマ・アニムスは、肉体的な性がどうであろうとも、両方が心の内にあるという論もあったように記憶しています。
私個人の体験で言うなら、私の内には性別のないものもあります。

その個人が「戦士」と聞いたとき、たとえゲームの影響であろうと、どのようなイメージを想起するか?は、重要であり大切にしたいものです。
イメージは、無意識の言語であり、私たちは自然と思い浮かぶそれらから、決して少なくはない影響を受けてもいるからです。

では、12のアーキタイプの『戦士』は、どのようなものであるか、見ていきましょう。

戦士との出会い

私たちの中にいる戦士は、闘いを挑む能力を有しています。
戦士のアーキタイプは、私たちそれぞれが“私”でいるために欠かせない存在でもあります。

戦士が目覚めるきっかけ

公正さを欠く権力者━━それが、職場の上司や教師といった人々であろうと━━に立ち向かう時や、誰かに危害が及ばないように行動を起こす時が、戦士への道の第一歩だ。

戦士は、戦う者として目覚めます。
自分を生かす能力もスキルも身につけていない孤児よりも、大人の状態で覚醒すると捉えてもいいでしょう。
一般的な成長の過程に沿ってイメージするなら、思春期に差し掛かったあたりでしょうか。少なからずの人が、学校の先生や親のちょっとした言動に不公平さや正しくない様を見つけ出す頃です。

幼子は楽園に暮らします。完全に受け身でした。
孤児は楽園を追われ見捨てられますが、まだ自分自身の世話をさえ満足にできる状態ではありませんから、仲間を求めるのも自身を守るためであり、まだ受け身です。
戦士は、胸に抱く楽園の不文律を絶対の価値と見なし、自らを律するとともに他者から守ろうとするため、汚そうとするものを攻撃します。
これまでの中では、初めての能動的な、積極的に外へと力を及ぼそうとするアーキタイプだと言えるでしょう。戦士は自らのパワーを主張します。

戦士が抱く楽園は、具体的かつ現実的なレベルでは、戦士の数だけ存在するでしょう。よって、戦士は独特の理念や価値観に従っているとも言えるかもしれません。

目覚めたばかり、あるいは成長していない戦士にとっては、自分と異なるものはすべて脅威であり敵と見なすべき対象かもしれません。この段階では、戦士には、戦うか・滅ぼされるか・逃げるか、の道しかありません。
成長していけば、自らの能力やスキルが追いつくまではと思いとどまったり、鍛錬の期間を設けたりと、やみくもに闘いを仕掛けたりしなくなっていきます。また、体制を整えたりさらなる自己鍛錬のために一時的に退くということも覚えていくでしょう。
この過程で、戦略を練ったり、他者の支援を取り付けたり、自らの得意な領域を見極めたりといったことができるようになっていきます。洗練と教養を身につけていくのです。
戦いと闘いの違い、闘いの必要性、勝利とは何か、敗北を認めることなどについても、意味づけが変わっていくことでしょう。

戦士の特徴

戦士は、私たちが自分の境界線を見つけたり設定したりする手助けをして、私たちが攻撃されないように守ってくれるアーキタイプなのだ。

戦士は、自らの力を誇示するアーキタイプです。「これが自分である」という感覚の萌芽でもあります。
庇護を必要とする子どもは、大人のルールに従って生きます。成長し、あるていどの自分の面倒を自分で見ることができるようになってくると、自立が始まります。
自立は、親や兄弟など、年齢や立場が自分より上で権力のあるものへの反抗という形で始まります。自分のルールを自分で定めようとすることでもありますし、自分と他人をはっきりと区別して、自分は自分でありたいという望みの現れでもあると思います。
「君のだ」と他者に引かれた境界を窮屈なものと感じ、納得を感じられず、「自分のだ」と引き直すことが含まれています。
自立や自我の形成は、他者への反発という戦いから始まると言ってもいいのではないでしょうか。

戦士のアーキタイプは、まず自分自身を勝ち取るために目覚めるのかもしれません。
自分自身の境界を創造していく過程には、他者との戦いがあるでしょう。他者を攻撃することによって、自分自身を主張するというやり方では、周囲からの攻撃を誘発しかねません。

戦士には下記のような特徴があります。

  • 力の誇示。
  • 不屈の精神と、物事を自分の思い通りにしようとする強引さ。

このような特徴が否定的に働くと、力によって敵と見なしたものを意のままに滅ぼそうとする戦士になりかねません。
注意しなくてはならないのは、私たちの内に生きる戦士が敵と見なすのは、必ずしも他者や外部のものだけに限らないという点です。自分自身にも向かっていく傾向があり、自己破滅的な力として作用することもあります。

戦士の3つのレベル

レベル1: 戦って勝利を収めることが目標。手段を選ばない戦い方で、目標は相手の息の根を止めること。敵を滅ぼすべき“悪”と見なす。

レベル2: 利他的な目標へと移行していく。教養と洗練を身につけるにつれ、フェアプレーの理念とルールに則った闘い方になっていく。致命的な損害を与えずに勝つことを求めるようになっていく。

レベル3: 広範囲な社会の利益につながる目標を達成することに関心が向かう。本当に大切なもののために闘うが、暴力的な力の行使をほぼ必要としない。

最終的に、戦士は個人の目標達成と大勢の幸福に寄与するものとが反しないと覚え、自分たちが提供できるものを与えなくては真の勝利、全員が心からの満足と喜びを味わえるような目標の達成と一人ひとりが利益を得るような勝利はないのだと知り、解決法を模索するようになります。

最高レベルに到達した戦士にとっては、内なる敵━━怠惰、冷笑主義、絶望、責任感の欠如、拒絶と言ったものを━━相手にするものが実質的な闘いとなる。

元々、戦士は境界を警備するために目覚めました。自分の領土を広げるため、戦うためではないのです。
力を誇示する性質ゆえに、戦士は目覚めてからまもなくは、他者へ攻撃的なやり方をもって異議を唱えるでしょう。まるで自分の領土を拡大しようとするかのようなやり方です。他者が「間違っていて」、自分が「正しい」のだという主張の仕方はまるで、侵略者のそれです。
戦士が健全に育っていくには、こうした振る舞いをし、痛い目にあうのも必要なことかもしれません。スキルがなければ、叩きのめされて負けるでしょう。自己鍛錬やスキルを磨く必要性に気づけば、戦士は賢さを備えていくでしょう。勇敢さと無謀さの違いを知るでしょう。

戦士の課題

戦士の課題は、闘いに固執せずに目標を達成することです。

戦士は単純明快さを好みます。正しい行いや人間を容易にそれとわかる世界にあるとき、戦士は最も快適だと感じるでしょう。
しかし、現実の世の中はそれほど単純ではありません。
戦士に求められるのは、絶対的な悪や善と決めつけることのできない状況下でも判断を下し、その決断に基づいた行動を取ることです。

戦士の神話はこう訴えている。この世には、悪や不正やごまかしがまちがいなく存在する。ただし、充分な知恵とスキル、立ち上がるための勇気と自制心を身につけ、充分な支援を取り付けることができれば、それに打ち勝つことは可能なのだ。さらに言えば、私たちは自分に対する責任だけを負っているわけではない。弱者や無力な者を守ることも私たちの務めなのだ。

ピアソンの本を読むと、「戦士」と言うより「騎士」という名前の方が、私にはしっくりきます。
高い志を持ち、名誉とフェアプレーを重んじ、領土や城の警備にあたる文武両道に優れた高潔な人物、というイメージです。

さいごに

戦士のアーキタイプが登場しなければ、「これは自分だけの者であり他人のものではない」というアイデンティティの感覚を養うのは困難だ。境界線の警備に当たって、芽生えたばかりの自分(自我)が他人の要求や願望に侵害されないように守ってくれるのも戦士なのだ。

戦士のアーキタイプは境界の守護者です。“自分”と“自分でないもの”の境界を明確にします。
戦士は他を滅ぼすために、存在するのではありません。戦士にとって“守る”とは“尊重”することなのかもしれません。

健全に成長した戦士は、闘いとは勝ち負けだけを目的とするものではなく、必ずしも独りで、直接対決のみで行われるものでもないことを知っています。
その時でなければ自分を控える強靭な精神や、相手や状況を評価する能力と優れた判断力、独創的な解決策を模索する思考力・想像力も有します。
もしどうしても闘いが必要なときには、臆さず立ち上がる勇気も持ちます。

こんなふうに捉えてみると、批判や批難が大声で叫ばれ、具体的にどうしたらいいのか・どうなっていきたいのかの指針が見出せない社会に、まさに必要とされる人物像だと思えてこないでしょうか。
私個人の目からは、今の世の中は、未発達あるいは成長の方向性を間違えた戦士がたくさん存在するように見えます。また、私たちに必要なのは、“私”と“その他”の境界をもっと適切に創造することだとも思っています。

私たちは敵を滅ぼそうと戦うのではなく、自他に対する思いやりや寛容さを持ち、より多くが幸せを感じられる世の中にありたい。
思いやりは、次のアーキタイプ『援助者』のテーマです。