もっと楽しい毎日を過ごすためベドウィンのように

2016.12.10

『ベドウィン』という言葉が思い浮かんだのだけど、彼らについて、何を知っているわけでもない。
移動していく、というイメージ。よりよい場所を求めて移動していく。

もっと楽しく毎日を過ごしたい。そう願っている自分に気づいた。
もっと楽しくって、どういうことだろう? 何があれば、もっと楽しいのだろう?
ここのところ、そんなことを考えていた。

好きなものや、興味のあること。
私にとって、好きなものって何だろう? 興味がわくことって、どんなものだろう?
これをはっきりと言語化するのは難しい。だって、これだけじゃないし、それだけじゃないし、あれだけでもないじゃないか。

主人と話していた。
個性的な、変わった人が好きなんだけど、そういった人はどこにいるんだろう?
と言っても、いろんな“個性的”があるし、いろんな“変わった”がある。まず、そこをハッキリさせないとね。

興味。私の興味はどこにあるんだろう?
もっと自分を知っていかなくては。

そんなことを考えているのも、自分にとってもっと最適な場所が欲しいからだ。
もっともっとラクで、もっともっと楽しい場所があると思っているからだ。
どうしてそう思えるのか? 今、一部持っているから。

自分にあった場所を探すには、素の自分を表現していくのが早いと思ってた。早くて確実だと。今でも信じてる。
しかし、それだけじゃないらしい。
変化するということを忘れていた。どこか、ひとつの場所を見つけて、そこにいれさえすれば、末長く幸せでいられる気でいたようだ。

自分が、変わっていく。周りも、変わっていく。変化は刻々と起こっていて、気づきにくい。こんなふうに、ある日ふと、物足りなさや違和感を感じるという形で気づくのかもしれない。
だから、移動し続けるのもいいのかもしれない。ベトウィンのように。

以前は、個性化することを世界から切り離されることのように感じていた。ベドウィンのイメージが、それは違うと教えてくれる。むしろ世界とともに生きることだ、と。