真夏の雪

2016.8.22

夏の雪

「空想の翼」という言い方がある。体はここにあって、動いて何かしているのだけど、心だけは自由にどこかへと行ってしまう。空想、創作のばあいだけでなく、物想いや回想も、心に翼を与える。

 母と二人で、秘湯と呼ばれる温泉へ行ったときのを思い出した。あれは、どこだったんだろう? 晩秋だったと思う。天気予報では雪が降るかもとなっていて、私はとても期待していた。雪。
 駅からバスに乗るときには、チラチラと降り出していた。宿に着いたころには、一面真っ白に積もっていた。降り止む気配はなく、シンシンと降り続けていた雪。むしろ目の前が霞むほど、たくさんたくさん降りしきっていた。あんなに積もった雪を、それまで見たことがなかった。

 あのころ、母との旅行は毎年の恒例だった。一番最初は、九州。私が20代なかば。「一人10万予算でどこかに行こう。どこがいい?」母にそう持ちかけた。
 私も母も、旅行らしい旅行というのをしたことがなかった。母が新聞で見つけたJTBの3泊4日、ぐるっと九州、みたいな企画に申し込んだ。後から考えたら、ずいぶんもったいない豪華な旅行だった。飛行機はJALで、宿泊先は、ハウステンボス内のホテルと、長崎・阿蘇のプリンス。
 珍しくはしゃいだようすの母が、行きの飛行機に乗り込む通路で振り返って一言。「旅行の間はケンカしないでいましょう」 私たちの関係をみごとに表現していた。

 秘湯へ行ったのは、何度目の旅行だったろう? 雪に降り込められたのをさいわいと、私は2泊3日、宿から出ない宣言をした。温泉は好きだけれど、観光は好きじゃない。車でも運転できれば違ったのかもしれない。
 母と二人でいても、私たちはそれぞれに独りだった。私は雪が珍しく、窓の向こうを眺めては日本酒を飲み、よく眠った。
 母がなにをしていたのか、二人でどんなことを話したのか、覚えていない。記憶にあるのは、雪。そして、雪灯りで影になった母の輪郭。私の幼いときのことを何か話してくれた。
 昔語り。酔いと静けさのなかで「なんて遠くまで来てしまったんだろう」と思ったのを覚えている。
 家からの距離もそうだけれど、老いて見えた母のシルエットと、自分がかつては子供だったことと。

 アイロン掛けをしながら、そんなことを思い出していた。
 主人はまったく手のかからない人で、普段はワイシャツのアイロン掛けも自分でしてくれてる。たまたま今日、私がすることを申し出た。1年とか? ずいぶんぶりのアイロン掛け。単純な作業をしていると、心だけがさまよいだしていく。
 「なんて遠くまで来てしまったんだろう」体の内側に、雪が降る。

 体の内で感じる心の動きが、雪を連想させた。
 心は、水と関係してる気がする。揺れ動くさまを感じていると、波のうねりや、湖面の波紋などを連想する。今は、雪。
 降り続けていくようなそのかんじと、台風が3つ来ているとかで、室内は薄暗い。窓辺の薄明かりの中にいて、早朝で静かなこともあって、母との旅行を思い起こさせたんだろう。
 真夏の雪。Sisselの『Summer Snow』を思い出した。

It’s summer snow
in the deep blue sea
I try to touch,
but it fades away
It must be a dream>

こんなふうに始まる。
 懐古と回想、そして悔恨には、ちょうどいいじゃないか。