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祈りという技術

師事した先生が、シャーマンだった。
臨床心理士の資格をもつカウンセラーで、神事を行うシャーマン。

出会いというのは、とても不思議なものだ。

昔で言う「ネットサーフィン」で見つけた。
いない人が見えるようになり、自分は狂ってしまうのか?もう狂っているのか?と追い詰められて、どうしたらいいのかを探していた。
なにか、それこそ見えないチカラに助けられた感がある。カウンセラーで霊能あり、なんて、そうそういないと思う。なのに、出会えた。

先生から、不思議なものも習った。
ヒーリングや、チャクラの見方や、祈り。
習えるものだなんて、驚きだ。
習ってみて、できるできないとかいうものでないことがわかった。あれは、一種の技術なのだと。

shine

ここでは、祈りについてのみお話ししたい。

祈りとはなにか?
私たちは、日常のなかで折に触れ、祈る。
「志望校へ入学できますように」
「好きな人が振り向いてくれますように」
「この子が健康に育ちますように」
「この一年の無病息災」
「しあわせになれますように」
これらは、しかし、願い・願掛けであって、ここで言う祈りではない。

祈りとは、手放しゆだねることだ。

もうね、最初、恐怖でしかなかった。
だって、すべてをまかせるんだから。大きなものの手のひらに、自分を投げ出すことができるだろうか?

恐怖の原因は「なにかとんでもなく苦しいこと、悪いことが起こったらどうしよう?」だった。

よくある話。宝くじにあたった人が身を滅ぼすとか、家をリフォームしたら家族が病気になったとか。そういった迷信めいたことを聞く。
宝くじの方は、よくよくストーリーを聞けば、それじゃぁしょうがないよねと納得がいったりする。
家の方は、因果関係がないのじゃないかと疑わしい。
でもね、昔から云われている。「願いごとには気をつけろ」と。
願いが達成される、その手段がとても苦しいものだったり、つらいものだったりといったことは、あるのだと思う。

祈りは、願いとは違う。
願いは、ゴールが決まっている。ゴールが達成できるようにと願う。
祈りは、すべてをゆだねる。

例えば「病気を治してください」は、祈りではない。病気が治るというゴール設定がある。
「お救いください」「お助けください」が、祈り。手段もゴールもゆだねるのだ。

命綱なしでバンジーするのに似ている。

習ってから、祈りの状態って気持ちいいのでね、一時期集中して祈っていた。
自分の恐怖を見つめながら。
つかめてきたのが、信じるとはどういうことなのか?の感覚だった。
信頼。私のばあい、心から信じることができなければ、祈ることはできないのだと、わかった。

祈りは、まぶしく、あたたかい。
愛のエネルギーなのだと習った。
心持ち、気持ちのかんじは、すやすやと眠る我が子を微笑み眺める母親のイメージ。そんな気持ちで、太陽を仰ぐかんじ。
自分をその状態までもっていくかんじ。

練習し、習得することのできる技術として、祈りを習った。