ドラマ『NYガールズダイアリー』を見てて想ったり

2023.6.14

ドラマ『NYガールズダイアリー』のシーズン4途中までを見た。
女の子が元気になれるドラマだと思い、見ていて楽しく、夢中になった。若さってすばらしい。

苦い気持ちになる。そう、若さってすばらしい。
彼女たちと同年代だったころ、自分をもっと高くウレばよかった。後悔とは少し違う。今だからこそ、自分自身を見る目が劣等感で歪んでいたのがわかるし、第三者的な視点も持てて間違った自己評価をしていたのがわかったのだ。
そうそう、言っておかなかれば。「ウレばよかった」のウルとは、誰かに買わせるためでなく、自分自身を誇示すること。もっと具体的に言えば、自分にもっと自信を持って存在していてもよかったのに、という意味。“売り”には「セールスポイント」という意味があるよね。

これこそが古い考えだとは思うのだけど、しょせん私は“もう”古い人間なわけで、だから考えが古くてもしようがないのかもとも思う。なにがって、「私はロマンスが好きです」と明言するのに恥ずかしさを感じること。
なぜ恥ずかしいかの理由のひとつに「50を過ぎたオバサンが」と考えてしまう。
「50を過ぎた」は事実なのでOKかと想うのだけれど、それを「オバサン」と並べて言うのはNGだと思う。だって、50代ってたくさんたくさんいる。私が“自分を”卑下して“自分を”「オバサン」と言うことによって、条件が同じ人たちをまとめて貶める発言をしたことになる、と考えるのだ。そんなつもりはなくとも、ね。

言うのに抵抗があって恥ずかしいから、もう一度言おう。「私はロマンスが好きだ!」

なぜ好きなのかを、ここでは語らないでおこう。まるで言い訳をしてるような気分になるから。
「好き」にもちゃんと理由があり、その理由を明確にしておくことは時としてとても重要なのだけど、ここでは問題ではない。
「好き」は好きでいいじゃない?

ドラマ『NYガールズダイアリー』に話しを戻す。
主人公のひとりである26才のサットンと、40才のウィリアムの恋を応援してる。ひとまわりちょっとの歳の差。ウィリアムは弁護士で育ちもよくリッチ。男性が賢くリッチなのは、昔々からのロマンスの王道だ。
物語として、いいよね。設定として、とても便利なんだ。リッチでスマートな男性といえば私の大好きな、J.D.ロブのイヴ&ロークシリーズを思い起こす。
恥ずかしいついでにもう言っちゃおう。私は、ヒロインの相手にリッチ&スマートな男性を書いてみたいんだ。

相手に財力・経済力を求める女は恥ずかしい。『NYガールズダイアリー』の中でもそう描かれてる。サットンの描写にある。だけど、否定もされている。———そのあたり、このドラマはうまいな・いいなと思うんだ。

現在、現実で、女が男性に、たとえば「おごってもらうのは当然」と言うのも許されていない。叩かれる。
私も“当然”と思うのはいかがなものかと思うよ、だけどね、おごってもらってもよくないかな? おごってもらうのを望んでもよくないかな?

遊んでいたころ、私はおごらせる相手を選んでた。気に入らない相手におごらせたし、対等でない相手におごらせた。お金はパワーゲームの要素だった。私のばあいはね。「金を払った」と言ってパワーを見せつけようとする男がいたのよ。くだらない。
お金だろうか? 私からパワーを奪うのは、お金だろうか? ———ねえ、私には奥の手があるんだけど。
お金は、わかりやすいんだ。それだけでしかない。

ところで。
20代って、あんなに向こう見ずだったっけ?
『NYガールズダイアリー』を、時々見ていられないと感じる。あまりに向こう見ずで、つたなくて。

ロマンスが好きだから、いろんな物語を読んだり見たりするんだけど、こと恋愛に関してはやっぱり(私より)若い年頃のヒロインが多い。
見ていられないと思うのよ。私はそんな選択を行動をしないから。今の私はね。
じゃあ、と考える。ヒロインたちと同じ20代30代だったときは、どうだろう? 想ってみれば、こう言う「そんな勇気は・自信はなかった」。要するに、ヒロインたちと同じ年頃だったときには、私はしなかった・できなかっただろうと。だからこそ、物語のヒロインなんだ。物語のヒロインは、私たちが現実にはできないことしないことをする。だからこそ、元気を勇気を、私たちはもらえるんだよね。

とうとつに、思い出した。
大人には、歳を取ってしまったら、若い人のようにみずみずしくは感じられない。と書いた人がいて、私はそれを読んで、腹を立てた。“あなたが”それを、みずみずしく感じられないだけでしょう?
初めてのキスのように、とその人は書いてた。初めてのキスのように? 初めてだからなに? まったくの初めてじゃなければ新鮮ではないと? それは感性の問題では?
たとえば、初めてのキスが、心も体も震えるようなキスのことだとしたら… 私はね、初めてのキスで心も体も震えはしなかった。だって、相手を好きじゃなかったから。初めて心も体も震えたキスの相手は別にいて、震えたのは好きだったからじゃなくて別の理由があったと思ってる。私みたいなヤツもいるのよ。
ケースバイケースだ。恋愛は、ロマンスはいつだって。

ロマンスはいつだって、心の奥底を暴く。———だから私たちは人間として成長できるんだ。

たぶん、と私は考えるのだけど、女性たちの多く(たぶん「多く」)は、ロマンスが好きだ。心を揺さぶられるのが、言葉にして語るのが、好きだ。
そしてたぶん、男性の多くは、ロマンスが嫌いだろう。心を、自分自身の心が自分に、あらわにされるのがこわいんだろう。———恥じる必要なんてなくてなくて、考えなくてはならない。旧来の“教育”が間違っている、と。
ねえ、心と向き合うのに、男も女もない。私たちは、言葉をもつ人間として、互いに話し合うべきじゃないんだろうか。最大限に言葉を活用して。心を表現すべきなんじゃないだろうか。あなたの大切な人と。

私たちは、思いやりあうために、愛しあうために、産まれ生きてる。———私はそう信じる。
『NYガールズダイアリー』でもそのあたり、言及されてるんだよ。

ねえ、誰かを「好き」だったり、誰かが大切だったり、誰かに頼りたかったり、誰かに何とかしてもらいたいと願ったり…そんなふうに誰かを求めるのは、いけないことかな?
独りで何とかしたかったり、独りでがんばってみたかったり、独りでどうにでもできると想ったり…そんな風に独りでいたいと望むのは、悪いことかな?
誰かを求めてみたけど、実は独りでやりたかったのだと気づくのは・独りがいいと望んでいたけど、実は誰かに頼れたら楽だったと気づくのは、悪いことかな?
人は、独りでは生きてない。これは事実なんだよ。だけど、その時々、誰かといることを選ぶのも、独りでいるのを選ぶのも、悪くない。

ところでこのドラマ、主人公たちが家でも外でもお酒を飲んでいて、一緒に飲みたくなるね。

つれづれ

Posted by nao