自分を変えるとは? 抵抗・葛藤をサイコシンセシスで考える
たまたま出会うことができ、学んだ心理学が、サイコシンセシス(統合心理学)でよかったと思います。
サイコシンセシスの中でも重要な要素『サブパーソナリティ』の捉え方は、自分自身と向き合うことを格段にラクにしてくれました。
ここでお話ししてみたいのは、自分を変えることについて、です。
サイコシンセシスを学んだ私個人の考えとして、自分を変えるとはどのようなことか?をお話しします。
はじめに
たいていの人が自分の、主に性格を指して、変えられないものだと思っています。思っていると言うよりは、信じている。
本屋さんにもネット上にも、自分を変えるためのハウツーがたくさんあります。
それを目にして「そんなに簡単なことなら、こんなに苦しんでない!」と怒りがわいたり、
「できない自分はダメなんだ…」絶望を感じる方もおられるでしょう。
私もそうでした。
今の自分自身のことが嫌いで、あるいは自分自身の性格や癖などに困っていて、どうにかしたいのにどうにもできずにいる。なにが、そうさせているのかと考えたことはあるでしょうか?
ここではまず、自分とはどうやってできているのか? なぜ嫌いなのに・困るのに、こうなのか? を、
次に「こうしたいのにできない」の、しくみの説明を試みます。
サイコシンセシスで見る“私”
“私”とは、なんだろう?
サイコシンセシスでは、“私”をさまざまな要素の集まったものと捉えます。
私というひとつではない。例えば、心臓が細胞の集まってできていて、心臓として機能しているのを思い浮かべてください。
サイコシンセシスでは、“私”というパーソナリティは、たくさんの『サブパーソナリティ』を“持っている”と捉えます。
サブパーソナリティ1|私の内側にいるたくさんの私
私たちの体の、例えば指一本でも、別のものに変えることは不可能と言っていいかもしれません。
そのように、“私”を完成形として固定したひとつのものと見なすと、変えようのないものに感じられます。
しかし、サイコシンセシスの考え方で捉える“私”は、ひとつのものではありません。
こう捉え直してみてはどうでしょうか?
レゴブロックのように、たくさんのパーツから組み上げられたものだと捉え直してみると、こことそこのパーツを入れ替えることも可能です。
まして心という視点からすれば、形のないエネルギーの集合体として考えることもできます。エネルギーは固有の性質を持ってはいても、変換して働かせ方を変えることも可能です。
ぼーっとしててもサボってない!心のエネルギーの話
私を嫌っているのは“私”ではなく私のサブパーソナリティ
一概に言い切れることではありませんが、「自分が嫌い」という方は、「自分が嫌いだ!」と思っているサブパーソナリティと同一化しています。声が大きく、主張の強いサブパーソナリティでしょう。
サブパーソナリティは、ある条件下での反応として瞬時に現れます。
例えば、自分のことを考えたときや、「自分」という言葉を目にしたり聞いたりしたその瞬間に「嫌い」と言いながら飛び出してくるイメージです。
サブパーソナリティは、私たちの“一部分”でしかありません。
自分のことが嫌いな方でも、四六時中「嫌い!嫌い!」と思っているわけではないですね? 忘れていることだってある。
なぜ忘れていられるのか? 自分のことが嫌いだというサブパーソナリティと脱同一化していると捉えます。他のサブパーソナリティと同一化しているのです。
私たちは自分を変えることができない=不可能なのではなく、変えたくない・変えようとしないサブパーソナリティと同一化していて「自分を変えられない」と思い込んでいる場合があります。
変えたくない・変えようとしないサブパーソナリテイィの態度を、『抵抗』と呼びます。
サブパーソナリティの抵抗
私の内のさまざまな部分=サブパーソナリティは、それぞれが独自の世界観や価値観を持ちます。
自分自身の嫌いな部分、困っている部分を変えようとしても、その部分を受け持つサブパーソナリティは、自分のしていることを正しいことだと信じています。
これまでの人生のなかで、一度ならず、その方法で成功し生き延びた実績を持っているのです。成功体験を忠実に再現し続けようとしている、と言ってもいいのかもしれません。
過去には、たしかに成功した。今、私が生きていることがその証です。
しかし、今現在の私自身にとって、そのやり方はもう古くなってしまっており、逆に不都合なものとなってしまっている。サブパーソナリティのレベルでは、そのことに気づくことができません。
頑なに、私を生かすという任務を果たし続けようとしているサブパーソナリティは、時間を止めてしまっています。変化を妨げる抵抗勢力となってしまっている。
サブパーソナリティのレベルでは、変わることそのものに抵抗しているわけではない、とも解釈できます。私を生かした方法をやめるのが怖くて反対している、と解釈することもできます。
私たちが抵抗感として意識するものの裏には、私たちの一部分、必死になって私を守り抜こうとするものが存在していると想像してみると、どんなふうに感じますか?
サブパーソナリティたちが、今現在の自分にとっていかに不都合な働きをしていようとも、過去にはそれらのおかげで生きることができたのです。このことは忘れてはいけない。
それらを労うとともに、今現在は不都合となっていることを理解してもらうのが最善だと、私は思います。
「変わりたい」と「変われない」の葛藤
さて、私というパーソナリティの内に、独自の世界観や価値観を持つさまざまなサブパーソナリティがあります。ひとりの人間の内側で、さまざまなサブパーソナリティが生きているということは、衝突もあります。この衝突のひとつが『葛藤』です。
「自分が嫌だから変わりたい、でも変われない」という葛藤が起こるのは、真逆の方向性を持つサブパーソナリティたちのケンカのようなものです。
「葛藤の統合」をする心理カウンセリングの技法があります。私の学んだのはイメージを用いたやり方でしたが、書き出すことで一人でもできるので、また別の機会にご紹介します。
ここでは、結論のみを言ってしまうのですが、葛藤の統合をしていくと、それぞれのサブパーソナリティが同じ目標を目指しているのがわかります。それぞれが、それぞれのやり方、お互いにとっては相容れない別の方法論でいただけだということがわかります。そうわかれば、それぞれが歩み寄り協力して目標に向かうこともできます。
サブパーソナリティたちを理解する
葛藤の統合で、サブパーソナリティたちはやり方が違うだけで目的は同じだとわかると述べました。
私自身がサブパーソナリティを理解していけば、今現在自分自身に不都合な働きをしている部分であっても意図を理解することができます。私たち自身が、心から理解できれば、サブパーソナリティはおのずと変化していきます。
具体的にはどうやって?
私の知る限りでも、いくつもの方法があります。
いくつもあるので、ここでは詳しく提示できませんが、私個人が実践した心理カウンセリングの種類名や技法名だけで挙げるなら
- 認知行動療法の自動思考記録表
- フォーカシング
- 交流分析(TA)の人生脚本
- NLPのポジション・チェンジ
- さまざまなイメージワーク
などがあります。
人生脚本についてのさわりは、こちら に。
認知行動療法については、こちら から
イメージワークについては、一例を こちら に、ご紹介しました。興味がおありでしたら、ご一読ください。
技法の向き・不向き
これは私個人の意見ですが、サブパーソナリティを理解し、おのずと変化していけるよう解放するには、納得感が必要だと思っています。私自身が、心から納得することです。
納得、という視点から見れば、どの心理学のどの技法も、自分自身の納得感をどう得られるようにするか、やり方の違いでしかないとも思われてきます。
考えることが得意ならば、自動思考記録表はよいツールだと思います。
私は自動思考記録表が書けなかったのですが、それは、気持ちの上でどうしても嫌だったから、どうしてそんなものを書かなければならないのかと納得がゆかなかったからでした。
書くと、自分が間違っていることが如実にわかります。それでは自分が傷ついてしまう。私自身を守ろうとするサブパーソナリティが頑なに拒むわけです。
気持ちへ直接アプローチするのに、フォーカシングはとても適しています。
私はフォーカシングもできませんでした。理由のひとつが、やはり自分を守ろうとしていたこと。
イメージワークが得意で、好きでした。
小さい頃から本、物語に親しんでいたので、想像をすることに何の抵抗もなかったのです。
イメージというクッションを仲介することが、当時の私にとっては必要でした。
私個人を例にとっても、このように、根強い抵抗感と技法の向き不向きがありました。
「変える」とは、より“今の自分”にフィットするものを選び直すこと
ここまでは、変えたいと思っても変えられない=変えにくい部分についてお話ししてきました。
ここからは、私の考える「自分を変える」とはどういうことか?について、お話しします。
私たちはごく普通の毎日を過ごしているだけで、変化していっています。
肉体の変化に気づいたことはありますか? 肌の状態ひとつとってみても、昨日は調子がよかったのに、なんだか今日はどんよりしている、なんてこともありますね。昨日はボロボロだったけれど、お手入れをしたら今日はすごく調子がいい、なんてこともあります。
心のことも、浮き沈みがあります。調子がよく数日ご機嫌で過ごしていたのに、急に元気がなくなったり。昨日までは「絶対許せない!」と思っていたことが、ある日突然どうでもいいやと思えたり。
健全な部分は、状況や環境に適応し、刻々と変化していきます。
問題となるのは、変化していかない・いけない部分です。その原因もさまざまです。
しかし、ごく普通の状態にあれば、時間がかかろうとも変化は、やがて訪れます。何か、現実の生活の中で壁にぶちあたるなどして変化を余儀なくされていきます。
私たちの言う「自分を変える」とは、このように“今”に対応して、自分を最適な状態にしていくことだと、私個人は考えています。
自分そのもの丸ごとを、別の人間にするわけでは、ないんですよね。
自分の辞書に、「自分を変える」とはどういうことだと書かれていますか?
現実的に可能なことが書かれていますか?
苦しいこと、とてもとても大変なことだと書かれていたりますか?
書かれている意味によって、自分を変えると聞いただけで腹を立てたり、不可能だと絶望したり、という反応が生まれている可能性もあります。
また、変わっていかないごく一部分をのみを取りあげて、自分はダメなのだと、まるで自分という人間そのもの丸ごとが欠陥品であるかのように思ってしまっていたりしませんか?
これは自分のごく一部分のことなのだ、と、一度考え直してみることをお勧めします。
自分を変えるということのイメージに、私はより軽やかなものを提案します。
「自分を変える」のイメージ
想像することが好きな方には、こんなイメージの提案が役に立つかもしれません。
ある人は、スーツにネクタイ。足元は革の靴で、手には書類カバンを持っているかもしれません。
ある人は、パジャマ姿で裸足なのかもしれません。
またある人はきらびやかなドレス姿。他のある人は、とても個性的なファッションかもしれないですね。
似合っていると感じられたなら、その姿を楽しんでください。
着心地がいいですか? もっとこんなだったらいいのに、が思い浮かんだら、想像の中です、遠慮なくどんどん着替えて下さい。色を変えてみるのもいいですし、素材や飾りを変えるのもいいですね。
ああこれがいい!そう感じられるものになったら、好きなだけ楽しんでください。
思う存分楽しんだら、最初のものとどう違うのか、違いを検討してみるといいです。いろんなことに気づくでしょう。
私個人の考える「自分を変える」とは、こんなふうに、今の自分によりフィットしたものにしていくことです。
これまで着ていた服では、どこかがきつくなっているかもしれない。気に入っていたけれど古くなり、擦り切れたりほつれたりしているかもしれない。
不都合になった部分を取り替えたり修理したりして、今の自分に合わせていくのが、「自分を変える」ことです。
さいごに
自分を変えるなんて簡単なことだと言う気は、私にはありません。
変えたいと思う部分は、自分にとっては、いろんな意味でとても重要な部分でもあります。
私個人は、自然と変化していって、あるいはある日ころっと変わってなんの造作もなかった経験もありますし、カウンセリングに通うことで大変なおもいをしてやっと変えた部分もあります。
ごく普通の範囲で日常を過ごすことができている方なら、肩の力を抜いて楽しみながら、よりよい自分へと変わっていくことも可能だと信じています。洋服を着替えるようにね。
私たちは幼い頃に、幼いからこその真摯さで、一度“自分”を決めてしまっています。
大人になってからさまざまな経験をし、いろいろなことを学んでから、改めて自分を見直し、どうありたいかかを選択する機会は、幾度となくやってきます。なにかの困り事や悩み事を抱えたときというのは、チャンスなのです。
幼い頃に信じたものと、大人になってからの見方では、かなり違ってきているはずです。
私たちは、自分がありたいと願う自分を決め直すことができます。
自分を変える、とは、この自分でなくなってしまうことではありません。他人・別人になろうとすることではありません。
自分の内で、否定的に働いてしまっている部分を、本来の自然な方向へ働くようにしていくことです。より、自分らしくなっていこうとすることです。
私たちそれぞれが自分らしくラクに生きていけるよう、私たちの内に生きるたくさんのサブパーソナリティたちが、穏やかにすくすくと育っていくことを願ってやみません。