期待のないところに諦めもなく。

「だって、わんこだもんね」
一言で済ませることができたのは、期待してないかったからかも。

うちの犬、Sivaは、私にとってまったく初めてのペット。ほとんど犬に触れたこともないのに、どうして飼いたいと願ったのか、よくわからない。
それらしい理由というのは、いつだって後づけだ。

最初の一年は、大変でもあった。
どう接していいのかさえわからなかったけれど、それほどの情もなかった。
長く続けた仕事とは違う業種を選び、パートで働き始めていた。楽しいことも、もちろんあったけれど、覚えることは山ほどあるのに記憶力の衰えを実感し、その他諸々でカリカリしていた。
うちに帰ると、やんちゃな、小さな生き物がいた。あらゆるものが、彼にとっては珍しく、コロコロと走りまわる。小さなちいさな歯は尖っていて、かまれれば痛い。
ただ痛いだけのことで、自分が本気で怒りをおぼえるなんて、思ってもみなかった。
自分も相手も、初めてのことだらけ。犬と人間は違う。けれど、お母さんたちの初めての子育てのしんどさを、少しだけ想像できるようになった。
そんなだったから、仕事でへこむようなことがあっても、犬といると犬のことだけで手一杯になり、仕事のことが頭から消えた。
よい切り替えになっていた。
大変でもあったけれど、救いにもなっていた。

やがて仕事を辞めた。
その理由のひとつとして、Sivaと居たい気持ちがあった。
いつの間にそうなったのかわからない。
「このコの今は、今しかない」日々、瞬間瞬間を、ともに在って見届けたい想い。
それまでのほとんどを、家にいてもケージに入れていて、外で働いてもいて離れていた事実を、少しだけ惜しんだ。
どれほどのことを見逃してしまったのか。

家にいるようになり、心と体の負担がなくなり、余裕をもってみると、ますますSivaを好きになった。
最初は合わなかった目の焦点が合うようになり、おもちゃをくわえて持ってくるようになり… 成長を感じさせる、小さなひとつひとつが愛しく興味深く。
自分自身がこうまで変わるのか、という、おもしろさもあった。

私がなにかしていてSivaが邪魔するのを見て、主人がハラハラしていじた。私が腹を立て、イライラするだろうことを心配してくれて。
そうだね、それまではその通りだった。
していることを止めて、機嫌よくSivaを優先する私を、私自身も意外に感じ驚いていたよ。

「だって、わんこだもの」笑って済ませることができたのは、Sivaが人間ではないからだろう。
最初から「違う」とわかっているから。
はなから期待のないところには、諦めもない。

人間の子供相手では、こうはいかなかったと想像する。
「同じ人間なのにどうして通じないのか」と無意識にも思っていただろう。赤ん坊に対して。
赤ん坊に言葉は通じない。子供に理屈は通じない。頭で理解していても、気持ちは違ったと想う。「同じ人間なのに」から、離れることはできなかったろうと想像する。
頭の了承と、気持ちの納得は、違うんだよね。

私は子供を生まないと決め、正解だったと思っている。
私には向かない。
やってみもしないで、と、言われるけれど。
やってみて、やっぱり向かなかったでは済ませれないと信じていたから、負の可能性の高い選択をしなかったのだ。

Sivaが、犬であるだけでなくSivaだから、私は慈しむとはどんなふうなのかを覚えることができたのだと思う。

今日も、また、新鮮な思いで、Sivaを可愛くも愛しいと感じる。
2年も一緒にいるのに。
毎日新しく、可愛い、愛しい、と感じる自分にびっくりしている。