「好かれたい」気持ちをどうする?とある炎上の覚書き
ネットの上では、頻繁にどこかで火事が起きてるらしい。Twitterでシェアされていた記事に、興味を引かれた。読んでみて、ああ、これは自分にも起こりうることだなと思った。
できごととしての炎上自体はどうあれ、私が気になったポイントについて考えてみたい。
今回は覚書きとして、自分への警告として、考えたことをまとめます。
気になったポイント
本人が事後の経過報告として書かれた記事を読んだ。私が気になったポイントは3つ。
- 自身と関係者で「キャラクターを作り上げた」。
- 評判が気になる。「すべての世界で誰かに好かれたい」。
- 批判的なコメントも(なるべく)気にかけ、返信。「誤解を解きたい」「ファンを増やしたい」。
根底にあると思われる「好かれたい」に、目が止まった。私自身がそうだから、なだけかもしれないけれど。
気をつけなくてはと思ったこと
気になったポイントの、それぞれについて考えた。以下は、私個人の意見であり、気をつけていこうと思っていること。
複数の顔を持つ
Web上でのキャラクターを作り上げる必要性は、あるんだろう。意図しないうちにできてしまうよりは、いいのかもしれない。
今のところ、私は作り上げるという手段を使ってない。最初の頃のどこかに、自分のいろんな部分を使っていくと宣言した。念のため言い添えるが、ブログ運営マニュアルには、ブレないキャラクター設定が推奨されてる。
一つの個性・役割・性質に固めることは、私は、こわい。たとえネット上だけだったとしても。なぜなら、脱ぎにくくなるからだ。心理学的に「ペルソナ」と呼ばれるそれに、なりきってしまうことを恐れた。私はこれをやりやすい。
よく学校の先生を例とするのを見かける。「先生」という職業・役割に責任を感じるがゆえに、家でも、独りでいるときでも「先生」でいる、という例だ。これは、ペルソナに乗っ取られた状態で、具体的にはリラックスしにくくなったり、ふさわしくないからという理由で好きなものを遠ざけたり、自分の子供にも「先生」として接していたりがあげられる。極端な結果として、本来の自分自身を見失い、心の安定をも失っていく。
使いわけが、できればいいんだけどね。人は元々、複数の顔を持っている。あの人といるときの自分、この人といるときの自分、こういう状況での自分、ああいう状況での自分。本人が気がついていなくても、それぞれに顔が違う。それがごく普通であり、正常な状態。
わかりやすいなと思ったのは、お笑い芸人でキレキャラな人が、実際にはとても優しい性格だったり、かな。岩下志麻さんが極妻撮影の後、新幹線で騒ぐ子供を一喝したという話を聞いた。役が抜けなくて。これがこのままの状態だと「女優病」と呼ばれるらしい。
好かれたい人と嫌われてもいい人
人に「好かれたい」は、誰でもが持つ感情だし、間違ってない。いけないことではない。だけど、無理や限界があることも肝に銘じておかなくてはと思った。
好きになってくれる人がいる。一方で、嫌われることもある。これが現実で事実。
パーソナルブランド・コンサルティングを学んだことを思い出す。そこでは「好かれたい人」と「嫌われてもいい人」を決める。
ちまたのブログ運営マニュアルを見ても、最初にターゲットを設定しろとある。
これらは、まず「誰に好かれたいのかを明確に」という意味だと受け取っている。そして、その他の人には嫌われる覚悟を持て、と。
つくづく思うんだけど、誰にでも好かれる、は、無理なんだよね。そう頭ではわかってても、心では、よういに受け入れられるものではない。だからせめて、「好かれたい」と思ってる自分自身に気づいていたい。気づいてさえいれば「またやっちゃってるな」と考えることができて、軌道修正をすることもできるんじゃないかと思う。
事実を捉える
「好かれたい」気持ちが根底に強くあると、相手の機嫌をとろうとするような言動に出やすい。
言葉がキツイなと感じたとしても、それが意見なのか質問なのか、あるいは感想なのかを判断するのも大切なことだろう。『理由』を訊かれて『感情』で応えると、こじれやすいし。
感情というのは、ほんとうにやっかいなものだと思う。個々の感じ方も違えば、表現のしかたも違う。
振り回されないためには、事実を「たんなる事実」として捉える力が必要になる。
ついこの前もやっちゃったばかり。質問のポイントを押さえずに、知ってることを羅列した。「教えたい」気持ちってなんだろう?と、主人と話した後だったのに。やっちゃったと気づいて、動揺した。動揺してる自分に気づいて、なにに動揺してるのかを探した。なににがわかると、動揺も収まる。収まったところで「こうだったね、ごめん」と言えた。
そのときはできたけど、動揺が収まらないうちに対処しようとしてもロクなことにならないなぁと思う。
また、スルーする技も必要だと思う。相手をかわす・流す・無視するという意味ではなく、自分自身の気持ちや考えを受け流していくという意味で。
さいごに
人を見下した態度はバレる。誤解を解きたいと言いつつ、その返信を見ると、どうもね…と感じた。本人同士のやりとりの中でも、相手からはっきり言われてもいた。応える言葉の端々に出てると感じた。
自分の周りは敵ばかりと思っていたときの私がそうだった。その癖は、今もあると自覚してる。出ることもある。私のばあいは、自分の劣等感が原因。相手に対する劣等感を感じると自分が傷つくから、相手を低く見積もって自分を守ろうとしている。癖なのだから、時間をかけてでも直していきたい。
劣等感や自分に対する基本的な部分での自信のなさは、「好かれたい」気持ちの素直な表現をじゃまする。これも、こじれる原因かと思う。気をつけなきゃ。
調べてみたおかげで、自分自身の気をつけなきゃいけないポイントが見えてきた。これからも、折に触れて考えていきたい。