環境を選ぶこと|朱に交われば赤くなる

私は今、私が居て違和感を感じることのない環境に在る。

どうして違和感を感じることなく居られるのか、何が私に楽だと感じさせてくれるのか、主人にはうまく説明できなかった。
前の所にいて、楽だった。その楽さとは違う。
よくわかってないの。「文化」というかんじなの。具体的には?が、うまく出てこない。

「環境って大事なんだよ」と、なかばつぶやくように、主人が言った。

楽さゆえの自堕落

多摩地区。東京のベッドタウンのそこは、一言で言ってしまえば、よくも悪くも田舎だった。
都心と違って、コンビニやスーパーの店員さんがフレンドリーな笑顔を向けてくれる。スウェットやジャージで出歩くこともできるラフさ。
住んでいて、時間に追われる生活を忘れた。歩くスピードが遅くなり、身なりにも気をつかうことなく、化粧もしなかった。

のびのびとした、ゆるさがあった。

近所にこれといって何もなく、買い物へ行くのが少し遠かったのもあって、思う存分引きこもった生活をしていた。

生活、あれを生活と言えるのだろうか?
今となっては疑問。

ゆるさゆえに、極端なことを言えば、自堕落だった。
私は、環境に甘えていた。
あれはあれで必要な時を過ごしたのだし、悪いことだとは思っていないけれど、望ましくもない。

緊張感が解放する「もっと!」

ここへ来てから、生活が一変した。

化粧するようになったし、おしゃれをする気にもなった。
街が、そうだからだ。
ある種の、そしてあるていどの緊張感は、休んでいた私の一部分を解放した。私の「もっと!」と望む部分を。

欲張りな私を「向上心の塊」と評してくれた人がいた。
私には「もっと!」が、ある。

もっと豊かな暮らしがしたい。
もっと質の高い生活がしたい。
もっともっと!充実した毎日を過ごしたい。
もっと私らしく、もっと高みを目指したい!
必ずしもお金のかかることとは限らなくて、私自身の感じるものの話なのだけれど。

必要な緊張感「はりあい」

以前の所では、めんどうに感じてやりもしなかったあれこれを始めてる。
化粧もそうだし、着る服を選ぶこと。掃除をはじめとする家の中を整えること。食事や運動。
我ながら驚くのだけれど、お台所に立って、歓びを感じたのだ。食事のしたくに歓びを感じるなんて、思いもしなかった。

急激な変化。
しかし、これも私なのだと、これまでどうして忘れていたのだろうかと思うようなものでもある。

必要なのは「はりあい」だったのかもしれない。

道行く人がおしゃれだから、私もキレイな格好をしようという、はりあい。
部屋の作りがキレイだから、相応に整えようとする、はりあい。
この街にふさわし者であろうとする、はりあい。

これは、一種の緊張感だよね。
「ストレス」という名で呼ばれ、忌み嫌われることの多い「緊張感」は、肯定的に働くばあいもある。

朱に交われば赤くなる

友人を選べと云う。朱に交われば赤くなるからだよね。
それと似てる気がする。
もちろん、どこにいても、何をしていても、自分を高くしていくこと・保つことはできるだろう。私がしなかっただけだ。
私のように、周囲の人や物事・環境によって左右されやすいなら、それこそつきあう人物を選ぶのがいいだろう。

居る場所を間違うのは、悲劇だ。

この街は、私がしていたこと・してなかったことに気づかせてくれた。
なるほど。だから、環境は大事なんだね。