感覚過敏か神経質かそれとも?いずれにしろ居心地よくしたい。

スピッた語りもできなくはないけれど、あんまり好きではないから、感覚の過敏さ もしくは 神経質だからってことで話を進めようと思う。
特に素足でいる季節には、フローリングの床の埃が気になる。
起きて、寝室からリビングへと移動するのに、足が嫌がっているのを感じ ...
軽くてお手軽 WP Code Highlight.js|Crayon Syntax Highlighter からの移行

Crayon Syntax Highlighter やめました。
デザインがかわいいから入れていたプラグインですが、重いと評判。知ってて使ってたんだけど。
WordPressテーマの変更にともない、せっかく表示の速い Luxeritas にしたんだもの、 ...
発見したものは、すでに発見されたものであったとしても。

頭の中で考えてることは、流れて行ってしまう。
川の流れとよく似ている。
逃したくないから、これはおもしろい展開になりそうだぞと感じるとスマホや紙にメモをとるのだけど、ジムにいた。
ルームランナーを止めて、ロッカーを開けようかと思った。けど、しなか ...
IP Geo Block|ゼロデイ攻撃からも守ってくれる!Akismet に代わるプラグイン

アンチスパム・プラグインといえば、Akismet。これは必須だし、これしかないと思っていました。
そうでもなかった。
WordPressテーマを STINGER8 から Luxeritas に変更し、作者のるなさんがオススメしてくださってるプラグイン一覧を見 ...
ホームはここに

以前、ホームはどこ? を書いた。
突然思い出し、最後の言葉は、私自身へのメッセージでもあったのだなと気づいた。20年ほどの時を越えて。
ホームとは、必ずしも物理的・空間的な場所を指さない。
ホームとは、当人がくつろぐことのできるもの。ここに居てい ...
名前は私ではない

私は、自分の名前を自分だと思ったことがない。
名前を呼ばれる。名字でも、名前でも。呼ばれれば返事をする。自分が呼ばれたのだとわかるから。けれど、その名前が私だとは感じない。
この感覚を感じている人は、どのくらいいるのだろうか。
子育て中のお母さんたちにお願いしたい「物語」を語ってくれること

私には子どもがおりません。若いときに生まないと決めてしまったし、嫌いでもあったから。
なので、子育てに関する話題には興味がありません。
しかし、興味を惹かれた人が子どもを持つお母さんだったりすると、その人個人への興味から、子育てに関するあれこれを見聞きするこ ...
動く生き物としての歓喜

運動を始めて、夜の寝付きがよくなった。朝も比較的目覚めやすくなったような気がするし、起きてからボーッとする時間が減り、食事をしようという思いももつようになった。食事後の洗い物も苦にならない。
運動嫌いの私が、なぜ、運動を始めたのか? 我ながら不思議な気持ちになる ...
記憶からこぼれるもの、刻まれるもの。

小学生、たぶん低学年だったのだと思う。宿題の、自由研究。
おそらくは、6年、6回あったろう課題に、どんなものを提出したのか覚えていない。
ただ1回を除いては。
どこの、だかも覚えてる。畑だった。
今考えれば、勝手にひとんちの畑に入ってたの ...
環境を選ぶこと|朱に交われば赤くなる

私は今、私が居て違和感を感じることのない環境に在る。
どうして違和感を感じることなく居られるのか、何が私に楽だと感じさせてくれるのか、主人にはうまく説明できなかった。
前の所にいて、楽だった。その楽さとは違う。
よくわかってないの。「文化」という ...
ココロがザワつくなら外に置いてガラパゴス化しよう

ブログをしているニンゲンとして、あちこちで見かけるさまざまな『やり方』論に興味を引かれる。
読んでみると、いまだココロがざわつく。
ココロをザワつかせるとわかっていても、読んでしまう自分が悲しいところ。
知識は欲しい。でも、反発を感じる部分はいら ...
なにごともない日の写真日記

休日は、主人が犬の散歩に行ってくれる。今朝は気分がノッたので、私も一緒に行った。
曇天。私には肌寒く、モコモコな毛皮着用のSivaにとってはちょうどいい気候。
先週、雨やらで2日ほど散歩しなかったのもあってか、予想以上の距離を歩いた。犬に散歩させられる、私た ...
メタモデルとSFAからジムに通うことに

たいていの人にとっては、ごくフツーのことでも、私には敷居の高いものがある。
そのひとつが、玄関から外へ出ること。
だからと言って、外へ出ようとすると具合が悪くなるとか、そういうことはない。単に、気が重いし、めんどうに感じる。
できないわけじゃない。だ ...
承認欲求とは?他者に認められなくては満たせないのか?

10代、20代は、いつも「わかってくれない」と思っていました。親は、友人・知人は、私のことをわかってくれない。
これは「わかってもらいたい」の気持ちが不器用に表れたもの。承認欲求が強かった、と言っていいのでしょう。
その頃のことは、もうハリボテじゃない – ...