承認欲求とは?他者に認められなくては満たせないのか?

2017.5.24

10代、20代は、いつも「わかってくれない」と思っていました。親は、友人・知人は、私のことをわかってくれない。
これは「わかってもらいたい」の気持ちが不器用に表れたもの。承認欲求が強かった、と言っていいのでしょう。
その頃のことは、もうハリボテじゃない – 自分を信じられるということ でお話ししています。よかったらご一読ください。

これまでの経験を踏まえ、私個人は、承認欲求を自分で満たすことができると考えています。
本当に?と疑問を持つ機会をいただいたので、あれこれの心理学を引っぱってきて検証します。

ここでは、まず承認欲求とは何か?と、その分類を確認します。次に、私の個人を例に承認欲求が強かったのはなぜなのかを考えます。そして、『ストローク』を用いて承認欲求を満たすことができることをお話しします。

承認欲求とその分類

最初に、承認欲求とは何か?を確認しておきます。

承認欲求(しょうにんよっきゅう)とは、他人から認められたいとする感情の総称である。

Wiki『承認欲求

『感情の総称』とは、ずいぶんバックりした説明ですね。もう少しイメージを明確にしたいところ。
上記リンク先では、興味深い分類がなされています。分類を見ていくと、イメージをつかむ役に立ちそうです。

対象による分類

  • 他者承認 ━━ 他人から認められたい
  • 自己承認 ━━ 自分が理想とする自己像と重なるか、あるいはもっと単純に今の自分に満足しているか、という基準で自分自身を判断する

『承認欲求』には、他者のみならず、自己承認をも含んでいる ことが、確認できます。

どのように認められたいのかによるタイプ分類

  • 上位承認 ━━ 他人よりも優位な関係で認められたい
  • 対等承認 ━━ 他人と自分の関係が平等であることを望む
  • 下位承認 ━━ 自分が他人から蔑まれたいとする欲求

“他者”から認められるにしても、上に見られたいのか、対等か、その人より下と思われたいのか、に、わかれています。

しかし、人の心の内は、こんなに簡単に説明できるものではないと思ってください。
外からの判断は間違うことも多いので、あくまで「そんなこともあるのかもしれないなぁ」程度に捉えるのがよいでしょう。

私のばあい

「ウエに見られたい」
私は、どのぐらいたくさん実験するか。観察できるか。 の中で
同級生たちを、野蛮で子どもじみていて下品だと思っていた。バカばっかり、と。
と言っていることから、タイプ分類では『上位承認』。
攻撃的な言動をしがちでした。他者を攻撃することで、自分を守っていました。「やられる前にやってやる」と思っていました。

自給自足する承認欲求

知り合いたちの評価がすべてだった。褒められていないと、居られなかった。私という存在は、他者からの好意的な評価によって、かろうじて輪郭を保っていた。
もうハリボテじゃない – 自分を信じられるということ より

承認欲求の塊とも言えそうな私でした。
今はどうか?
「もうハリボテじゃない」を書いたときに、改めて不思議に思っていました。あの焼けるような感覚や、どんなことをしてでも「わからせてやる」と攻撃的でいた自分が、すっかりナリを潜めたな、と。
無くなったわけでは、ありません。今でも私の内に在るのを感じます。渇望ではなくなったかんじ。

どのようにしてそうなったのか? 他者を必要としない自分になろう と決めたことが、発端だと思います。
カウンセリングにも通って、痛みのケアをしました。

カウンセリングにおけるケアのほとんどが、私のばあい、現実の自分を認め、受け入れていく作業でした。
これを、交流分析(TA)の『ストローク』を用いて、考えてみます。

承認欲求を満たすストローク

他者との関係においてやりとりされる “刺激” を指す『ストローク』について、詳しくは よりよくあるために「ストローク」という考え方 をご参照ください。

承認欲求は、たいていのばあい、他者からのストロークで満たされると捉えることができます。
「すごいっ」「カッコイイ!」「あなたって頭がいいよね」などの褒め言葉は、肯定的なストロークです。口にした他者より素晴らしいとの意が含まれたストロークは、上位承認を欲する人向けでしょう。
「仲間」「同じだね」「それ一緒!」などのストロークは、対等承認。
否定的な「バッカじゃねぇ」「何やってんだよ!」「お前って本当に役立たずだな」などのストロークは、下位承認。
それぞれに、他者からのストロークを得ることで、承認欲求を少しでも満たしていくことができます。
こう考えると、承認欲求は、存在の認知であるストローク、他者とのやりとりと切り離せないように思えてきます。

過剰な承認欲求は、ストローク欠乏によるものとも考えることができます。
存在認知のひとつの単位であるストロークが不足しているのは、生きるためになくてはならないもの、たとえば空気が足りなくなるのと同じです。

さて、『承認』と『認知』につまずいて脱線したくなるのですが、ここではともに『そうだと認めること』とします。

ストロークは、自分で自分に与えることが可能です。必ずしも他者を必要としません。
カウンセリングで自分を認めていく作業は、サイコシンセシス流に言えば、自分の内にあるさまざまな部分=サブパーソナリティを認めていく=それぞれに存在認知のストロークを与えていくことと捉えることができます。(サブパーソナリティについては: 私の内側にいるたくさんの私 よりご参照ください)

サブパーソナリティ単位で、承認欲求を満たしていく。その存在そのものに肯定的なストロークを与えていくと、それぞれが育っていきます。
サブパーソナリティが育っていくと、内的な調和が取れていきます。
内的な調和が取れていくと、パーソナリティ全体としてのまとまりが得られ、他者からの承認・ストロークをそれほど必要としなくなっていきます。

こう考えてみると、私が心理カウンセリングを受けたことでの効果として

  • 自身にストロークを与えるやり方を体得すること。
  • 自分で承認欲求を満たすコツをつかむこと。

などがあった、と言えます。
少なくとも私のばあい、過剰な承認欲求を抱いていたのは、自分で自分を承認できていなかったからだと言うことができます。自分を認める・自身を受け入れることの代償行為として、他者に認めてもらうことを望み、受け入れてくれることを求めていたと言えます。
私個人は、過度な承認欲求の原因であったかもしれない傷をケアし、ストロークの自給自足のしかたを学び、より安定した自分自身でいられるようになったと感じます。

さいごに

基本的欲求の一つなのですから、承認欲求があるのは、ごく当たり前のことです。しかし、強すぎる欲求は、どんなものでも自身に有害となりえます。じょうずに満たしていくことが必要となります。
ストロークという考え方を用いて、他者からのみならず、自給自足することが可能なのだと想像してみてください。ストロークをご紹介したページの、最後の方にあるストロークの法則も参考にしていただけたらと思います。

一方で、焼けつくような渇望としての承認欲求は、お腹が空いて起こる飢餓状態と同じです。
幼い子どもならば、誰かに食事を与えてもらう必要があります。あるていど以上に成長していれば、自分で食事を作り、食べることも可能ですよね。必ずしも食事を用意してもらう必要はありません。

他者から満たしてもらうにしても、誰か特定の個人、ではなくて、複数人から満たしてもらえるようにする方がよいです。
あちこちから少しずつつまみ食いしていくやり方なら、誰かに過ぎる負担をかけることも少ないでしょう。
並行して、自分自身で食事を用意するやり方を学ぶのもいいのではないでしょうか。
自分でできることのいいところは、自分の好みにあったものにすることができるところですね。

さて、今回承認欲求を調べてみて気づいた、ナルシシズムとの関連について考えてみようと思っています。