サブパーソナリティ1|私の内側にいるたくさんの私

2016.11.10

サイコシンセシス(統合心理学)では、ひとりの人間を『さまざまな部分』から成っていると考えます。
まず、私たちは、肉体を持っています。肉体は、皮膚や臓器や血液といった、さまざまな部分でできています。心臓は、たくさんの細胞から成っていて…というように、ひとりの人間の心もまた、さまざまな部分でできていると考えます。
今回は、誰の心の中にもいて、普段は気づかれることもないサブパーソナリティたちをご紹介します。

いろんな部分

サブパーソナリティとは?

私たちを欺く最も有害な幻想の一つは、私たちが分割不可能で、不変で、完全に同一性を保ち続ける存在だというものでしょう。真相は、その逆だと認識することは━━驚きかもしれませんが━━サイコシンセシスの冒険でまず直面する最初の課題の一つなのです。
P.フェルッチ『内なる可能性』

人は、自分を“ひとつ”と思いがちです。「人格」という言葉も「ひとつの確固とした人間」のような意味合いで使われています。だとしたら、なぜ葛藤が起こるのでしょうか? 「ああするのが望ましいとわかっているのに、こうしてしまう」という葛藤は、私たちの内側にいる『サブパーソナリティ同士のケンカ』と思ってみると、とてもわかりやすくなります。

サブパーソナリティとは、状況に応じて反射的に出てきて、特定のパターンを持ち、あたかも一人の人格のようにふるまう、自分の中のいろいろな自分のことです。
平松 園枝『サイコシンセシスとは何か』

誰かに何かを言われて、条件反射のように腹が立つ。こういったことは、誰にでも経験のあることではないでしょうか?
この「誰か」に「何か」を言われたという“刺激”に対し「条件反射」で現れるのが、腹を立てたサブパーソナリティです。

サブパーソナリティの見つけ方

むかーしからあることのひとつに「電話に出るときは声が違う」というのがあります。声が高くなる人、不機嫌そうな声が出てしまう人、思い当たりませんか? 電話がかかってきたという刺激に対し、出てくるサブパーソナリティがいると考えられます。
もっと簡単に、自分自身のことで、思い出してみてください。

  • 大好きな人の前にいるときの自分。
  • 苦手な人の前にいるときの自分。

好きと嫌い、まったく反対の状況で、どんなふうな自分を思い浮かべるでしょうか?
好きな人の前では、明るく楽しくふるまうけれど、嫌いな人の前では、萎縮してしまって相手の反応をうかがうような自分がいる。というようなことは、多いでしょう。リラックスしているか、緊張しているか、体のかんじも違うはずです。声のトーンや話し方などはどうでしょうか?

  • 仕事をしているときの自分。
  • 家にいるときの自分。

上記も、違いの出る例です。
では「あなたはどんな性格ですか?」という質問に、どんなふうに答えますか?

  • 恥ずかしがり。
  • 面倒くさがり。
  • 怒りっぽい。
  • 泣き虫。
  • お調子者。
  • 人見知り。
  • 内弁慶。
  • 真面目。

これらすべてが、それぞれに「私の中の、そういう面」、つまり一部分であるサブパーソナリティです。

さいごに

今回は、サブパーソナリテイがどんなものであるかを、簡単にご紹介しました。次回は、このサブパーソナリティたちは、どのようにして生まれたのかをお話しします。

ひとりの人は、たくさんの部分からできていると知っていると、自分を何かに決めなくていいことがわかります。「自分=ダメ」ではなく、「自分の中の一部分は、こういうところがイマイチだよなぁ」と考えることができれば、それだけでも少し楽ではありませんか? また、大っ嫌いなアンチクショウのことも「あの人のこういう部分が嫌い!」と思ってみれば、もしかしていいところも目に入るかもしれませんね。

[baloon-line-left img="https://nyanchest.com/wp-content/uploads/2016/12/nao.jpg"]ひとりの人の内側には、たくさんのサブパーソナリティが生きています。[/baloon-line-left]