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現代に生きる私たちが神話を更新していこうじゃないか

母性とは、女性特有の・いかにも母らしい、子どもを生み育てる資質を指すようだ。
特有の? いかにも?
心理学的にいえば、女性の内には男性性もあり、男性の内には女性性もある。肉体的な性別のみで語ろうとするのは、私個人には、違和感がある。
母性とは慈しみ育もうとする心のありようだと私は考えていて、そうなると、女性に特有のものではないし、その対象も人間とは限らない。
一般的ではなくとも、私がSivaに感じるものの一部は母性からなるし、植木に感じるものもまた母性なのだと思っている。
そもそも、“母”はもう女性のみに与えられる名称ではなく、機能や役割としてあってもよくなってきているのではないかとも考えている。

このような考えを前提に、以降を続けていく。

mythology

子どもを育てるように犬とかかわってる

朝7時。Sivaを散歩に連れて行こうと考えながら、洗濯機に洗い物を入れていた。
リビングに戻ると、僕なんにもしてませんって顔のSivaと目があった。その足元には、今吐いたばかりなのだろう、まるきり未消化なフードのほぼ1回分まるまるが。
Sivaが吐く直前は、最初に聞いたときには何の音かわからなかった異音がする。ポコンポコンと表現すると違う気もする。しかし、ポンプの音かと想ってみると納得できる音。
聞こえなかった。思いながら、再度フードを食べようとするのを抱き上げ、がぅと怒られながらケージへ入れた。片づけるために。

犬を飼うのは、幼い子どもを育てるのに似ているようだ。
私には子どもはなく、親戚や友人の子どもたちとかかわる機会ももたず、これまできてる。なので、子育てのあれこれを話しに聞いているだけなのだけれど。
お母さんたちの、ゆっくり食事もできず、満足に眠ることもできず、何をするかわからなくて目を離すことができない、というのを私は「Sivaもそう」と思う。

賢い女性たちが教えてくれる母性神話の崩壊

母性神話は、崩壊しようとしていると感じている。
Twitterで目にする賢い女性たちの書き込みで、古くから云われてきた「母親ならば子どもに対し魔法が使える」といったようなことがらは、女性たちの日々の努力のうわっつらをすくったものだったのかと驚く。

一例として「子を泣き止ませることができるのは父親でなく母親」と聞いていた。
私の見かけたツイートでは『それは創意工夫と共に居る時間によって築き上げられた信頼関係によって可能となる』とあった。父親から渡された子どもを、他者に託すことができない母親がなんとかしようとしてきた努力の賜物だと。
そうだったのか!と、目から鱗の落ちる思いだった。

魔法はときに否定的に働きもし「子に対し、こうでなければ母親ではない」という呪いとなる。できない私は母として失格なのでは…と個人を追い詰めてきた側面があっただろう。
負に作用する神話は崩壊してしかるべきと思う。

子を案じるように犬を

お散歩をとりやめた。Sivaはソファの隅で丸くなり、眠ってる。膝に乗ってこないのは、すねたのたろう。

まんがいちを想うようになった。もし、見ていられないときに何かあったら…と。スーパーへ行って帰ってくるまでの、1時間にならない間でも。

地震があった。スーパーにいて、館内放送があった。店員さんたちが不安そうに話しているのに耳を立てながら、探し物をしていた。
目当てのものが見つからないのに、猛烈な焦りを感じてると気づいて、見つからないから焦ってるのではないとわかった。Sivaの所へ速くと焦り、パニックを起こしかけているのだと。

ほんのちょっと離れている間に、何が起こるかなんて、わからない。
神経質と、自分でも思うほどに、Sivaと離れていたくないし目を離したくない。

美しい神話、現実的な本能

昔から云われていることには意味があると思ってる。
美々しい母性神話の一部は、曲解や誇張かもしれないけれど、云われるようになる元には真実があるのだろう。
野生の動物たちに、子を宿してから気が荒くなる種があると聞いてきた。保護の本能なのではないかと考える。子を、命を、守り抜こうとする本能。
本能は、通常最も強く働くものだと思っていて、母親の神経質さはこれに根ざしているのだと考える。

魔法物語のように、美しく語り継がれるための神話なんかじゃない。命をつないでいくため、生き物としての現実的な本能なんだ。

しかし、子を守ろうとする本能は、母親に特有なものではなく、父親にも同様にあるものだと思う。ただ、やり方の違いはあるだろう。
子を宿し動きの取りにくい母体を想うと、じっくりと抱き包み込む昔から云われてきたような母親像が見えてくる。一方、動き回ることの可能な父親は、子を宿す母体の楯となろうとするのかもしれないと想像できる。
子どもたちが生まれれば、母はそばから離さないようにして安全を保つようにしようとし、父はそれぞれが自らの命を保つための食べ物のとり方を教えようとするかもしれない。

個体の性別を越えた部分でも考えてみる。
肉体的に男性であっても、内に女性性がある。慈しみ育むやり方を強くもつ個があっても何の不思議もない。
肉体的に女性であっても、内の男性性が強ければ、外敵から守るという行動を取ろうとしても、何の不思議もない。
どちらがいいでも悪いでもない。その個人の元々の資質や、心もちがどう現れるのかといったことでしかないだろう。また、これらの現れ方は、その個人の、例えば愛の発達段階のようなものによっても変わってくるものではないかと考える。

神話の機能

神話は機能する。神話の機能とは、生きる人へ知恵を授け、勇気を与えるものだと考える。肯定的な働きこそが、神話の本来の機能なのではないかと考える。
否定的な側面が強く働くようになってしまったのは、更新されなくなったからなのではないかと思う。

ジェームズ・ボネットは、こう語る。

私の本棚には「グリム童話集」があるけれど、ここに書かれている物語は口伝で伝えられてきた物語をグリム兄弟が書き記した瞬間から、もう100年以上も変化していない。(中略)もちろん当時からあった英知は今でも同様にそこにあるだろうが、(中略)一般の人にとってはもう妥当性を失ったに等しいといわざるをえない。物語中のメタファーがアップ・デートされてこなかったので、受け手はメッセージを受けとることができない。
ジェームズ・ボネット著『クリエイティブ脚本術』より

かつて、人が語るという形で物語は伝えられてきた。文字にして残すことが可能になり、語り継ぐことにはあった変化がなくなってしまった。

語られる度に物語が変化していくというは、ある意味自然なことだ。これは好奇心理のなせる技だといわれている。例えば印象が強烈なものは覚えられ、あまり強く感心しなかったようなことは忘れられる。(中略)物語を分析するという無意識的な傾向があり、それが先に挙げた数々の傾向を一度引き離した上で、簡略化や編集というごく自然な作業をもって色々なコンビネーションを使い、聞いた話を組み立て直すことになる。
ジェームズ・ボネット著『クリエイティブ脚本術』より

変化には成長がある。変化すれば、より適した形になっていく。変化しにくいものになったことで、物語がもっていたパワーは失われてしまった。生き生きとしたパワーが失われた結果、物語は否定的な影となる。
生きる者の心に働きかけ、希望や期待、明るさや勇気を呼び覚ましていた神話は、否定的な影となり、私たちを禁止で縛りつける表現となってしまった。

神話もまた、検証され、みあわなくなった部分は変更され、物語として更新されていくのがよいのではないか。更新していくのは、生きている私たちであってもいいのではないか。
神話は、死に絶えた神々や英雄たちの物語ではない。生きた人間の心にある善い資質に作用する手段が、神話なのだ。

讃えられた母性

母性神話が生まれた背景には、もしかして父親の驚きがあったのじゃないだろうかと想像すると楽しい。
自分がどうしても泣き止ませられなかった子どもが、母の腕に取られ胸に抱き寄せられたらピタリと泣き止む。その様子を見て、驚きとともに讃えたのだとしたら? 自分という人間を越えた神性めいたものを感じたのだとしたら?
そんなふうにして、最初の母性神話は生まれたのかもしれない。

さいごに

時代の急速な変化の時に立ち会っているような気がする。これまでだって、さまざまなものごとが、私の知らないだけで、変化してきたのだろうけれど。急速な変化と感じるのは、あくまで私個人の主観でしかないとも思う。だとしても、気づけるようになった自分が嬉しい。

新たな創造は、ときに破壊の後で行われる。変化もそうやってなされることがあるけれど、必ずしも破壊を必要としておらず、過去からの延長にあるように思う。変化できなくなったものが壊されるのだろう。

私のTwitterタイムラインでは、LGBTやXジェンダーが語られ、当事者の発言も拝見する。差別についても関心が高く、もう男・女の役割としての古い区別もグラグラしているように、私には感じられる。
よい兆候だと思ってる。
現代に生きる私たちが、神話を更新することができるのだ。息を吹きこみ直し、新たな生を与え、肯定的に機能させていこうじゃないか。