部屋・土地・空気・身体。
どこからどこまでを「現実」と言うことができるのか、私には時々わからなくなる。
目に見えないもの、手で触れることのできないもの、耳で聞くことができないものは、証明が難しい。
しかし、雲に隠されていても月は存在する。
日が暮れてかけていた。
一歩、玄関から入って、綺麗な部屋だと思った。湾曲した壁に2つの窓。白い壁、白い床。
変な間取り。マンションの、半円形の部分に位置する部屋。
テンションが上がった。空気、とでも言うしかない雰囲気の綺麗さと、変な間取りぶりに。
ワンルームの中を見て回ると言っても、たかがしれている。目で見るより、当時の私は、肌で感じて回っていた。
「ここはヤバイ」と感じる所がある。
入った瞬間にわかる。
重いとしか言いようのない、暗くよどんだ空気の部屋。
時間帯や天気には、関係がないのだ。
その部屋は、綺麗だった。たぶん、そういったものは感じないという人でも、新築のお家に感じるようなものはあると思う。清潔さとか、真新しさとか。
築が新しいわけでもないのに、どうしてこんなに綺麗なのか、と想ってみて感じたのは、幸福感だった。
前に住んでいたのは、若い女の子だったのかもしれない。希望にあふれて、ここから出て行った。
満面の笑みで、飛び跳ねるようにひらりと身をひるがえす彼女が見えるようだった。
ああ…結婚のために出て行ったのね。
その部屋に、3年ほど住んだ。
そこが、私の一人暮らし最後の部屋となった。
私は、そうとは思わずに、自分の未来を見たのかもしれない。
竜が主として居る公園がそばにあって、雨の日がとても気持ちのいい部屋だった。
あの頃のように、なにか、ないはずのものを見るのは、もうほぼない。
時折、なにかを感じることがあるくらい。
それにしたって、意識しなければ、ほとんどない。
こう、人には性質みたいなものがあるんだと思う。4大元素、とか、そんなかんじのやつかな?
風・水・火・土。私は、土に親和性を感じる。
初めて Wikipedia で読んでみた。四元素
なんとなく、なるほどねと思ってしまう。
引越しを繰り返してみて、どこに住むかって、わりと重要な気がする。
都心を離れ、郊外のここに越してきて、主人は私を「潤ってる」と表現した。
ここに来て、緑が生きているのを感じた。
都心の街路樹なんかは、黙している。じっと閉ざして耐えているかんじがする。それが普通なんだと思ってた。
ここの緑は、これを生き生きと言うのねってかんじなのだ。
緑が━━もっと具体的には、木の葉っぱが元気だと、私も元気になるかんじがする。
もう一つ、海抜が低い所は、もしかしたら私に合わないのかもしれない。
マイナスメートル地帯に住んでいた頃は、絶不調だった。
Google Maps 標高 (SRTM版) で調べてみると、
一人暮らし最後の部屋は、標高9メートル
主人と住み始めた部屋は、13メートル
ここは、93メートル
次の場所は、19メートルか。
次の所は、低くなり、木も少なくなる…
だけど、土地の空気は、澄んでいてとても綺麗だった。
環境に頼りきりなのも、たいがいにしないとね。肉体年齢的には、もう維持に努めていいのだから。
心身知のバランスを整えるようにと、お計らいいただいてる気がする。
外観を見たときから、そこに住んでいる。
こんなかんじを感じるのは初めてで、未知の期待を感じてもいる。