鎧を脱いで真珠に

2016.8.26

GirlFriends

 めったないことだけど、自然と仲良くなれる人がいる。きっかけがなんだったのか、思い返そうとしても、あまりにも自然だったから「えーっと…」と考えてしまう。
 人と出会うことの不思議。

 人見知りですと言うと、ほとんどの人が言う「そうは見えない」。見えないと言われるから、考え込む。人見知りって、なんだろう?
 もともとは、子供のための言葉だったらしい。子供が、知らない人を前にして恥ずかしがったり嫌ったりするようすを表現する言葉。
 実際、子供の頃の私の人見知りは、そうとうに激しかったらしい。ちょこちょこ行く親戚の家の玄関で動きを止めて入らず、帰ろうと言うような子だったと、母から聞いてる。記憶にないけどね。

 大人が『人見知り』と言うときは?
 私が自分を評して言うとき、「人とじょうずにコミュニケーションをとることが苦手です。もし失礼なことがあったとしたら、どうぞ許してください」の意味だ。これだけ長い内容を『人見知り』の一言で済ませてたんだな。一言言えば、許されると思ってたんだな。

 相手に対する警戒心や猜疑心は、人ならずも動物ならば、持っていて当たり前のものだ。生存本能によるものだからね。

 ひとめ見て、嫌いと感じることがある。柔らかい言葉で言うなら、『苦手』になるんだろう。ちょっと前に、ある集まりでお会いした方を思い出す。
 スラリと背が高く、長い髪をした女性だった。おない歳ぐらいだろうと見当をつけた。苦手意識を感じた。表情のない人だったから、声をかけづらかった。
 さすがに、それだけで苦手意識を感じるのもどうかと考えなし、声をかけた。笑顔が返ってこなかった。内心、困惑した。
 数人でランチをとることが前もって決まっていて、気まずさを感じながらも、自分の言動と気持ちの動きを追っていた。
 女同士に、よく感じてしまう。言い過ぎかもしれないけれど、馴染みのない女同士は腹の中で、探りあい、牽制しあい、批評しあう。ああ、これはサル山行動かも。気の強い女同士は、相手よりも自分がTOPにいようとするのだ。
 苦手意識は体、肩のあたりの緊張感として表れているのに気づいて、力を抜いた。肩こっちゃうのもヤだしね。相手にTOPを譲るのをイメージする。自分の言動が変化する。より、オープンに、より、くったくなく。私は私でいていいのだ。意識して、そう考え直す。私は私、だから あなたがあなたであっていいと思えてくる。鎧を脱ぐようなもの。
 ボス猿になりたいわけじゃない。真珠でいたいんだった。思い出して、武装解除する。リラックスすると、現実が見えてくる。彼女も、人見知りなんじゃ?と思いつく。相手もまた、私とおなじ、ただの人見知りなんだと思ってみると親近感もわく。さっきまでの苦手意識はなんだったんだろう? 
 やがて、空気がほぐれて彼女と笑いあえた。楽しく時間を過ごした。

 20代の終わり頃、突然「真珠になりたい」と思った。自分が歳をとっていくのだという事実を考えていたときのことだったと思う。
 歳をとりたくないという気持ちより、よい齢の重ね方をしたいという気持ちだった。外見に、その人の生き方が否応なく現れていってしまうのが、歳をとるということなんじゃないかと思った。
 真珠になりたいと望んだのは、そのときはそこまで考えてなかったけど、表に現れても恥ずかしくない生き方を望んでだったのかもしれない。
 真珠って、どうやってできるか知ってる? 殻の中に入った遺物を、貝は吐き出さず、包み込む(詳しくはミキモトのサイトで 天然真珠のできるしくみを見ていただいてもいいかも)。痛みを取り込んで、育み、綺麗なものへと変容させていく。糧、というよね。真珠の、あのまろやかな光は、痛み。そんなイメージを素敵だと思った。キラキラとして華やかなダイヤモンドにはなれないけれど、ひっそりとして、まろやかな光を映す真珠を目指そうと決めた。

 自分の、条件反射のような人見知りを感じないでいられる人がいる。感じても、ほんのちょっとの間で済むような人。それがどうしてか、わからないのだけど。もしかしたら、相手の方で先に武装解除してくれてるのかもしれない。あるいは、武装なんてしてないのかもしれない。
 離れてつきあいがなくなっても、折に触れて、思い出す。大切な人として。どうしているだろう?だけでなく、今、私が生きていることを知っていて欲しい。そう望むぐらいの熱心さで。
 数えたら片手だけで足りてしまうほどだけれど、私には大切な人がいる。