クロゼットに入れた夢
小さなセレクトショップなら、1軒開けるほどの洋服を持っていた。服が大好きで、ちょっと変わったものに目がなかった。変わってると言っても奇抜の意味でなく、カットが凝ってたり、ステッチに遊びがあったり、色味が変わってたりなていど。パッと見に、派手さも(それほど)ないようなもの。
ちょっと変わったものを好きになってから、デパートに行くのが楽しくなくなった。どうしてか? どのショップも、おんなじようなものしか置いてないから。流行りのアイテムは、形、色、ラインや丈にいたるまで、私にはおなじに見えた。
買い物に行くのに「こういうものが欲しい」っていう視覚的なイメージができあがっていて、それを探す。ミニスカートが流行ってるならロング丈のスカートはないし、冬に明るく綺麗な色味の服を求めたところで黒や茶などモノトーンが主流だ。
流行りものを置くデパートでなく、個人経営のセレクトショップならどうか? 好みなものを置いているお店って、見つけるの、たいへんなのよね。それでも、ないことはない。
流行りのものを身につけるのを嫌った理由のなかに、みんなと違っていたい思いもあった。目立つため? それもあったかもだけど、むしろ、人とおなじでは劣等感を感じるから。私より綺麗な人は大勢いる。私よりスタイルのいい人は大勢いる。私よりその服が似合ってるは大勢いる。人と比べて、自分に持つ、劣等感。
だからって、勘違いして奇抜な方向へ行かなくてよかったと思ってる。奇抜さは注目を集めるから、劣等感の塊でいた私には、どだい無理だったろうけど。
好きなものにこそ、その人の個性は出る。『書きだすことから始めよう』という本に、「探偵になってみる」エクササイズが紹介されている。以下抜粋引用。
探偵になったつもりであなたの家や部屋を大捜査。住んでいるのは、どんな人か推理して書きだしてみましょう。
クローゼットの中、台所の戸棚の中、CDの棚や本棚。家具、敷物、カーテン、部屋に飾った写真(中略)そういったことも手がかりになります。(中略)その家や部屋の中で、いちばん目を引くものは何でしょう?
他人のふりをして身の回りを見回してみると、自分の現状を知る手がかりになる。この本では、いくつものエクササイズを通して『自分の好き』を再発見していくよう促す。
今回、私が強調したいのは、本のなかのこの言葉。
自分のスタイルとは、独自の世界観のこと。世界観は人によって違います。それぞれが持って生まれたものだから、比べることなんて不可能です。(中略)
それでも私たちは、つねに自分と他人を比較し、自分のほうが劣っているのではないかと心配しています。
「これが好き」と言えなくなったのは、いつからだろう?
自分を壊して、組み直していかなくてはならなかった時期、素朴な疑問が浮かんだ。
私は何が好きなんだろう?
自分が好きなものと、自分が誰なのかということと、どこかでつながっている気がした。
意識もせず自然としていること、つい手にしてしまうようなもの、そういったものは、自分の好みを反映している。私自身が誰かということを表している気がする。そんなふうにして洋服も、選んでいたはずだった。
好きなものに自然と手を伸ばすとき、私は誰かと自分を比較しているだろうか? 手にした後で「これなら誰も持ってなさそう」と考えることは、あったとしても。
現実として、今、かつて私が選んできたようなディテールの凝った繊細な服を必要としていない。お出かけしないからね。劣等感が薄くもなったしね。
それでも、服が好きだ。自分の再建が終わる頃に、服を作ろうと思いたった。家庭科は苦手な科目だったけれど。Amazonで安く、それなりと思えるミシンを買って、作り始めた。すごく楽しかったの! 布や糸、ボタンなどを、一つひとつ自分で選び、組み合わせていくというのが、ものすごく性にあった。計画的で細かい作業だということも。型紙本を買ってみて、昔(やってたわけじゃないから、イメージね)と違うのにも驚いた。シンプルだけど、変わったものもあるんだよ! まさに私の好みだ。
一つひとつを考え抜いて選択していくこと。既存の物を組み合わせて自分の思うように仕上げていくこと。単純だけれど細かい作業。作業効率を高めていくような創意工夫。地道にやっていけば完成するところ。これらが、私の好きなもの。
私が作ったものは、私だけのもの。型紙を基にすれば、誰でもおなじものが作れるのだけれど、この一着を作ったのは誰でもない私。形がおなじでも、おなじ布で、糸で、色合いで作ったものは、世界中に一つかもしれない。
比較のしようもないものを作り出せるという高揚感を手に入れた。
ミシンが壊れてしまったのは、とても残念だ。でもね、私には今、文章がある。そして、いつかまた服を作ろう、ミシンを買おうという夢もある。