歩きはじめた
金色の光。白い雲が水色の空に浮かび、地平線に近いところは薄紫。
白い壁の部屋は、窓から遠い方から影になっていく。
私はここで、チェシャ猫のように満足げに、今日を思う。
歩きはじめた。
連日30度を越す気温。犬の散歩に出ている5時台でもすでに25度を越していたりする。
ああ、太陽が沈もうとしてる。橙色の光は強く、この部屋の奥までを照らす。
早朝にも爽やかとは言いかねる空気のなかで、それでも日中よりはずいぶんとマシで。「風が気持ちいいね」などと犬に話しかける。
でも犬は歩いてくれない。時にはね。
時には歩き、時には歩かない。私が早起きして、それなりに急いでしたくして、5時前に出ても歩いてくれなくてガッカリすることもある。
そんなふうにしてガッカリした日に、歩きはじめた。
Googleフィット、アプリに、一定のペースで歩けるよう音をだしてくれるのがある。これにあわせて歩いてみたいなと思った。だからイヤホンが必要だった。それでも、もう外を歩くのに周りの音が聞こえないのは怖くって。
だから、耳をふさいでしまわないものを選んだ。イヤーカフ型のイヤホン。そんなものが4,000円もしないで買えてしまうなんて驚きだ。
イヤホンを手に入れて外で聞くなら、音楽がいい。
歩くのはまだ先だと思ってた。イヤホンを買ったのは勢い。あってもいいかなと思って。でもイヤホンがあって、音楽を再生するためのデバイスがない。いつか買いたいとは思っているけれど、私の想像では、走りはじめてから購入をと計画していた。
走りはじめたら、かっこうのいいウェアが欲しい。かっこうのいい私に似合うような。
走るのなんて、ずっと先。まずは走る練習をしなくちゃならない。だって、心臓に穴が開いてるとわかった10代から、走ってない。せいぜいが、信号が変わる前にと横断歩道を急ぐぐらいだった。
あるもので、音楽を再生できないものかと考えた。もちろん、スマホがある。イヤホンはスマホとペアリングできてるからね。Googleフィットのリズムを聞くために。
PCのMusic(旧 iTunes)にある音楽を、歩くのに適したトランスを、どうやってスマホで再生しようか?
試行錯誤して、結論だけ。
PCからは、音楽ファイルをGoogleドライブにあげた。スマホ側で、SDにダウンロードして、GoogleのFilesというアプリを使って再生する。Filesはデフォルトでスマホに入っていた。
Filesでは、音楽を次々と再生はできない。指定したそのファイルだけなので。でも、今回の私のばあいは、再生したいファイルが1時間を越えているものなので、これで事足りた。音楽プレイヤーアプリを用意しなくて済んだ。
なぜ、音楽アプリを用意するのが嫌だったんだろう?
余計なものはいらない。持ちたくない。―――そう思ったのを覚えている。
意固地になる。あるひとつの考えから離れられなくなる。
そう、“考え”なんだよね。望みでもなく、意思でもないかんじがする。つまり心ではなく、アタマ。
自分を観察していていくつもある不思議なことの、これもひとつだ。
ともかくも、歩きはじめた。
犬を部屋に連れ帰り、私はイヤホンをはめ、再度外へ出た。
とあることで、体組成計をもらった。欲しかったんだ、体組成計。
それで、乗ってみたら3キロ増えてた。
体重が増えててびっくりしたけど、なるほどだからムチムチしてるのかと納得できた。
20代の頃から、53キロ弱を維持してきた。もちろんちょっと増えたり減ったりはしてたんだろう。けど、だいたい53キロだった。
50代。運動をしてこなかった。小学生で習わせてもらったバレエで作った体を、ただ食いつぶしてきた。50になるまで、よく保ったと感心する。
今の自分の体を、私は好きじゃない。
横から見たときの、薄さがなくなった。
最初に気がついたのは二の腕だった。なにこのムチムチしたかんじは?!と驚いたんだ。鏡を見て。
そのときは、体重は変わってなかった。うちには体重計はなくて、検診で計ったんだ。
体組成計を手に入れて、体重がわかって、想う。
運動をしてなくて、筋肉が落ちて代謝が衰えて脂肪が増えたんだろう。
歳を重ねていくことを受け入れている。でも、受け入れてることと、それでいいと思うことは別なんだ。この体は好きじゃない。
まずは歩こう。
走る練習をしたいけど、五十肩に響く。
走るのはあこがれ。
かっこいいじゃない?
昨日からはじめて、まだ2日しか歩いてない。
それなのにこうして書いて残すのか。と思った。3日目はやらずじまいかもしれないのに。
やらずじまいかもしれないのに。
やらずじまいでも、よくないけど、いいんじゃないかな。
だって、あきらめない。
何日“連続で”やったかじゃなく、私が残しておきたいのは、いつ そんなことを“はじめた”か、なんだろう。
はじめというのは、いつだって新しい。新たなサブパーソナリティの誕生日なのかもしれない。
残しておくにふさわしい記念日だ。
おりしも、Steamにログインできなくなった。ゲームは当分おあずけだろう。
座ってないで行動しなさい。そういうことだろう。
歩きはじめた。―――象徴的だと思う。
やっぱりピーナッツを買ってくるべきだった。
微発砲のスパークリングワインを、もう1本開けてしまう。
こんなに呑むつもりではなかったのよ。こんなに呑むのなら、KALDIのハニーローストピーナッツが大好きなの。食べはじめると止まらないよね。
ずいぶんと酔って書いて、それから2日が経った。
3日目は歩かなかった。4日目は15分だけ歩いた。そして今日、5日目にまた歩かなかった。無理のない、私のペースでのやり方をしていこうと思う。やめなければいい。それが私のやり方。