生きること 感じること

2019.5.11

晴天の日の明るさは壁に反射して、室内を白い光で満たす。開け放った窓から入る風が、時折カーテンを揺らす。聞こえてくる人声は言葉としての意味をなさず、心地よいBGMになる。
しあわせだ… うつらうつらとしながら胸につぶやく。

しなくてはならない義務を負わず好きなことだけをしていられる生活に、当然との思いはなく、なんて幸せなのかと驚きにも似た気持ちを日々新たに感じる。
静かな生活。

環境に恵まれ、大好きな主人とかわいくてしかたない犬がいて、叫びにもならず喉をひりつかせた渇望のすべてが叶ったかのような現在。
自分に満足してる。
これほどのものがあるのかと想像もできなかったよろこびがここにあり、さらなる高みを望むことのできる希望すらもっていることができるなんて…

夢のようだ、と、表現するところなのだろう。しかし、一歩ずつを歩いてきた実感があり、夢でないしっかりとした現実感が私にはある。
現実なのだ。そう思うと、びっくりする。

生きてると何が起こるかわからない。こう思うと、以前ならこわさを感じた。悪いことが起こるのを想像したからだ。
そうだね、悪いこともあるかもしれない。これからだって。だけど…
「だけど」と思える。悪いこともあるだろうけれど、それ以上に、いいことがあると信じられるようになったんだ。

いいこと。起こそうとして起こったわけでない、いいことたち。神さまの贈り物のようなそれらは、幸運としか言いようもなく奇跡のようだとすら思う。私のチカラではない。
一方で、直接の自力の働きかけで起こしたのではないそれらも、これまでの私のさまざまな選択の上にあるのだと思いもする。
降ってわいた幸運は大きなもののチカラで運ばれたものと感謝しつつも、私自身のこれまでの選択もまた大きな目で全体を見れば間違ってはいなかったのだと誇れる。

苦しいときに苦しんでくれた過去の自分、つらいときをそれでも生き抜いてくれたこれまでの自分を、惜しみなく讃えたい。

乗り越えたとは、結果でしかない。
乗り越えることは、目標ではない。
目標は、ラクになることだった。
死なないように頑張ってきたのが、よりよく生きられるようになったのは、ご褒美のようなものだと思う。

私がすべきなのは、今を感じること。今の幸せと、これからへの希望をゆるやかに胸に抱き、あたため、大切に育んでいくこと。
生きるとは感じることだ。と私は思う。

つれづれ気持ち,生きる

Posted by nao