2023年末の決心を記す
いつものように、犬と散歩していた。
いつもと違うのは、12月30日の朝だというところだ。
車通りも少なく、人通りはいつにも増してなく、静かな街。風は冷たいけれど、陽射しはあたたかく。幸せを感じた。
2023年は、私にはつらい年だった。
禁煙を始めて、心がつらかった。心理カウンセリングに通っていた頃に、ある意味で、戻ったかのような。
その次が五十肩。そして、何本かの歯の不具合。物理的な痛みにも何種類もがあるのを知った。
心のことに比べ、体には関心を向けてこなかった。そのツケとも言えるかもしれないし、単に歳をとったのだとも言えるのかもしれない。一気にガタがきた、といったかんじだった。
完全に、若さを失ったのに気づいた。完全に。
老いてきた、とは思った。とは違うんだ、“完全に”若さを失ったと気づくのは。
“失う”というのが何につけそうであるように、かなしみを感じている。さみしさのようなものも。
はっきりとは言えない、言っていいのかわからないから言えないでいる、出来事もあった。
それについて語ってしまいたいのだけれど、まだ、言っていいのかわからないと思っているから控えておく。
会えばそうとも感じない部分もあるのだけど、父の認知症も進んでいる。母の負担も増しているのを、いくばくかでも、理解できる。双方へのそれぞれの理由で、私が一緒に、もっと毎日でも顔を出せるくらいに近くに、いられたらいいのにと想う。
1週間にまではならないだろうか? 毎日、泣いている。涙が出る。
泣きたくて、涙を流せるのはいいことだ。泣きたくても涙を流せないのは本当につらいと知っているし、泣きたいと感じていないのに涙が出るのはヤバい状況だってことも知ってる。
だから健全に健康だと思う、心は。
禁煙の初期の苦しみと五十肩の痛みで眠れないのが重なった時期には、マジでメンタルがヤバかった。生きていたくないと思った。数か月で済んだんじゃなかったかな。
本当につらかった、と思うだけで涙が出る。だから今年はつらい1年だったんだ。
年の瀬も押し迫って、バルダーズゲート3が公式に日本語対応してくれて日々の楽しみができた。生きる希望なんてそんなものよ、けして大それたものでなくていいんだ。吉兆ととっている。これから好転するんだわ、と。
希望をもったところで、実家へ行った帰りに電車が止まっていた。ぼうぜんとしたよね、この辺りは1路線しかないのに。大変だった1年の総括というか、とどめ刺された気持ちになった。
タクシーかな、いったいいくらかかることやらと考えた。ともかくも、そこから別の路線で行ける所まで行こうと考えた。合流してる所まで行って、そして、路線は違えどももっとそばまで行けることに気づいた。そっちへ行けばバスも出てる!じゃなくともタクシーだってそんなにかからなかったはずだと。
私は本当に本物の最悪には会わないで済むよう神さまに守られていると、かねてより信じている。タイミング良くバスに乗れたし、電車もバスも混んでなかった。
神さま、ありがとう。
そして今朝、幸せを感じたのをきっかけに、あきらめないと決心した。
来年はもっと幸せになる。自分をもっと幸せにしてあげられる方法を探す。
幸せになるのを、私はあきらめない。何年かかろうがいいじゃない、私は幸せになる。
奇跡が起こったっていいと思ってるのよ。