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会話って「こういうもの」という思い込み|夫婦の“違い”から教えてもらったこと

夫婦は、別々の人間同士です。違う環境で、違う経験をして生きてきた二人が、生活をともにしています。
それぞれに違う前提、価値や信念、行動基盤を持っています。つい、忘れてしまいがちだけれど。

日常生活のなかで「あれ?」と思うことがあります。なぜ、この人はこうなのかと。
違いに気づくと、自分自身に役立つ学びがあります。夫婦に限ったことではないのですが、別々の人間が一緒にいることの素敵な側面だと思っています。

私のパートナーは、私とはまったく違う部分をたくさん持っている。主人から教えてもらうことは、たくさんあります。
ここでは、主人との違いから気づいた、私の望んだ“会話”を一例としてお話しします。

partner

はじめに

目の前の相手を、肯定的な視点で見てみると、たくさんの優れた資質に気づきます。
自分のパートナーのいいところを発見していくのは、とても楽しい。
私個人がとてもいいなと思う、主人の態度のひとつに、相手の話をよく聴くという点があります。

主人は、今でこそよく話しをしてくれるようになってきていますが、一緒に暮らし始めたころには口を開きさえしない人でした。
しゃべらない。だから、なのか、その代わりに、なのか、じっと黙ってただただ聴いてくれます。

以前から、私は主人の話してるのを遮ってしまっているなと気づいていました。
それで「私は思いついたときに、思いついたことを話しちゃってる。それで、あなたの話しを遮っちゃってるよね? それでも聴いてくれるのは、なんで?」と言ってみたら、
主人の返事が「話したいことは後で話す」でした。
なんていい人なんだろう。

私の望んだ“会話”とはなにか?

主人が私の話を聴いてくれる態度は、傾聴の態度だと感じていました。
ここで言う、傾聴の態度とは、相手の話を相手が話すままに聴いていく態度です。
しかし、私は主人との“会話にならなさ”に、不満を感じ続けていました。

不満をつのらせたのは、私に「会話とはこういうもの」という思い込みがあったからなのだと、ずいぶん時間が経ってから気づきました。

傾聴は、心理カウンセリングには不可欠だと思っています。
一方で会話とは、やりとりだと思うんです。相手が話す、私が話す、また相手が話す…と、交互になされるものだと。

なので、主人がただただ聴いてくれる、主人の話しを遮って私が話しだしてさえ聴いてくれる“傾聴”を望んでいたわけではなかった。
「どうして話してくれないの?!」と、思ってました。贅沢だな。

遮られて話せなくなった主人自身の話は、後で、またはまた今度の機会に話すと言われて、反省するとともに驚きました。
後で、話すよう、覚えていられるんだ。という驚き。

衝動をこらえ保持するのは

いつかお話ししようと思ったままに、いまだうまくまとめきれていないものに『心の体力』があります。
ここでは、少しだけ触れることになるのですが…

私がした、話したいことを思いついたときに口にしてしまうのは、心の体力がないからだとも思います。

重い荷物を長い時間持っているには、腕の筋力が必要です。
心のことで言うなら、気持ちなどの“思い”をそのままにしておく=保持するには、心の筋力が必要なのかもしれません。
また、話したい!という衝動をこらえるには、身体で言えばどのくらいの力で握るかといったコントロールを必要とします。
筋力が身体の体力の要素であるように、保持とコントロールは、心の体力の要素だと考えています。

私には、話したい衝動をこらえ、相手の話しを聴き続けるために意識をコントロールする、心の体力がなかったと言うことができます。
主人には心の体力があった。とも、言うことができます。

好んだのは“会話”ではなく“議論”

自分自身が望む“会話”がどういうものなのかを、さらに考えていきました。
考えるにあたり、逆の方向、私が「これは会話とは言わない」ものはどういったものだろうか?を思い出していました。

  • 双方が言いたいことだけを言うもの
  • テーマに沿っていない話し

ずっとずっと以前から「おしゃべり」と呼ばれるものを苦手としていました。
私個人は、女性同士・女性だけの場でのやりとりで特に「今その話はしてないんだけど」「あなたの話しを聞きたいわけじゃないんだけど」と、思うことが多かった。
テーマを持たず、それぞれが話したい話しを自由にしていくのも、会話の範疇に入ります。私個人の認識が「それは会話とは言わない」だっただけです。
女性同士のかかわりからは、「それでいいんだ」と思い込みを撤回し、マイ辞書を書き換える機会をいただきました。
これはこれで、自分がより自由にラクになれもする、よい学びでした。

でね、気づくのが、私の望む“会話”こそを「それは会話とは言わない」んじゃないかってこと。
私が望んでいる“会話”の形は、一般的には“議論”と呼ばれるものかもしれないって、気づいちゃった。

テーマに沿って、互いに意見を交換しあう…これって…一般には“議論”と呼ばれるものかもしれない。
と、思いあたったら「なーんだ」って気持ちになりました。

思い込みから本当の望みを知る

思い込みはときに、自他に対する禁止事項として、否定的な働きをすることがあります。
「こうあるべき」という規範となっていて、それ以外のものを排除しようとするんですね。
否定的に働いている思い込みは、“嫌な気分になる”といったサインで知ることができます。

嫌な気分になったときは、自分自身に「どんなだったらいいのかな?」と訊いてみるのもいいです。自分が本当に望むものを知る、チャンスでもあります。
自分が本当に望んでいるものを知ることができれば、「こんなふうにしてもらえると、嬉しいのだけれど…」と、お願いするといった選択も可能になります。
わけわからず不機嫌になったり、攻撃的な文句を口にしたり、といったことも減らせるかもしれない。

本当に望むものを得ることができず、欲しくないものをいくらもらっても不満はなくせません。
自分が望むものを伝え、相手が了承してくれたなら、気持ちよいコミュニケーションができそうですよね。

さいごに

ここでは、主人とのかかわりにおいて教えてもらった、一例として“会話”をとりあげました。
私個人がなにを“会話”だと思っていて、どう他のものを否定していたか。

私にとっての“会話”は、むしろ“議論”と呼ばれるもので、前向きな議論を好むのだとわかりました。そして、たあいないおしゃべりや、黙って聴いてもらうことは、私にとって“会話”でなかったので、楽しむことも感謝することもできなかったということも。

「女性は感情を聞いて欲しがるものだ」と、云われていたりします。
女性の発言者が「ただ黙って聞いてくれればいいの」と言っているのを、見聞きすることもあります。
私は女なのですが、なにかテーマがあって、それに沿って、なにをどう考えているか? 現状がどうなのか? よりよくしていくためにはどうしたらいいのか? といったことを話しあっていくのを好みます。
なにを好むのかの傾向、そのときどうして欲しいのか、などは、個々人によってまた状況によっても変わってくるものでもあると思います。
男性とやりとりしていても、「あ、今は気持ちをわかって欲しかったのか」と思うこともあります。

夫婦。私にとってもっとも近しく大切な人との“違い”が、私にとってよい学びとなっていること、幸せに思います。