知らなかった憧れも

雨の日は、今ここにいることが、とりわけ嬉しくなる。胸のあたりが明るく温かく軽くなるような、喜び。

覚えてる。初めてここを訪れたとき。
冷たい風が吹く、寒い日だった。空気は澄んで、クリアだった。
素敵な街だと思った。
清潔で、垢抜けていて、無駄がない。人通りは多くはなく、駅前の雑然さもなかった。大きな道路からは建物で隔てられていて、静かだった。
憧れた。
住むことが、もしかしたら、できるのかもしれない。もしかしたら…
まだ、夢だった。可能性が高いとは思えなかった。

主人が目をつけたマンション、建物を見たあのとき、本当のほんとうは、無理だと思った。

何年も前、友人の家に遊びに行った。結婚して買った新築のマンションが、当時私が独り暮らししていた場所の、わりと近くだった。
大きな公園がそばにある、そこは、東京23区のはずれにあった。
30階とか40階建てだったろうか?
表の自動ドアを入ってインターホン。抜けて、広々としたモダンなロビーには燦々と陽の光が入った。コンシェルジュはいたか、いなかったか。いかにも現代のハイクラスマンション。
来客には、室内から、オートロックを解錠しエレベーターを開く仕組み。
すごいなぁとは思ったものの、羨ましさや憧れは感じなかった。彼女には、似合っている。そんなふうな、自分とは関係のないものとして眺めるような気持ちだった。

私の住むこの建物は、かつて自分とは関係のないものだった友人のマンションと似ている。
夢にも見ることができなかった暮らし。


初めてここに来た日、嬉々として声をあげた。
「すごいね、こんな場所に住むんだね」
「雨の日でも濡れずに買い物できるね」
無理と感じつつ、私はわざと、もう決まっているかのような話し方をしたのだ。わざと。

私の恐れや不安や心配は、私のものだ。私自身が受け止め対処すればいいのだ。
「勘で。どう思う?住めそう?」主人に何度か問いかけたのが、私の不安の発露。

雨の日は、思い出す。雨に濡れずに買い物に行って。

私には経験もなくて、嫉妬すら感じることのできなかった友人の生活。どうして不安を掻き立てられるほどに憧れ、夢に見、こうして実現しちゃってるのだろう?
ここにいて、こうもしっくりと感じていることの不思議。

ただただ、口のなかの飴を転がすように味わう。

与えてもらった喜びに、子どものようなストレートさで、きゃっきゃとしている。
まだ、きっと、私の知らない憧れがある。夢や希望や喜びがある。それらを知ることができるかもしれない、かんじることができるかもしれないという可能性。
夢を見よう。憧れを抱こう。
大切に育んで、まっすぐに手を伸ばす勇気をもちたい。