ブログ運営の方法論に反発して得たもの。

インターネットで拾える “情報” は、科学的・統計学的なものではない、と思っている。
企業にしろ、団体にしろ、個人にしろ、発信者がどのようなものであれ、経験を語ってくれている。
ある程度の期間、ある行為をしてみて、得られた結果を「これはこうである」と話してくれてるんだと。

私が “情報” を “経験” だと言うのは、その個人なり集団なりには、特定の考え方=フィルターが、かかってるんだろうなと思っているから。
フィルターは、信じてること、と言い換えることもできる。
もっと言っちゃえば「〇〇=△△」という思い込みのことで、思い込みは事実をねじ曲げることもある。

つまり、私は、インターネットで得た “情報” を信じていないってこと。
情報集めのための調べものをよくするくせに。


好き嫌いの激しい私は、言葉の響きや使われ方に、特に過剰な反応をする。自覚してる。

ブログを始める前、そして始めてからしばらくは、ノウハウを調べに調べた。
その通りやる気もないくせに。
で、今日まで反発し続け、今現在も嫌だにゃんと感じてるのが「ブログ運営」の方法論。
善意の人たちが、好意で公開してくれてる「こういうときは、こうする」に、いちいち引っかかってきた。

素直さ・謙虚さが足りない、と反省してる。


今考えれば、なーんにも知らないくせに・知らないからこそ、世の中の風潮に難癖つけたかっただけかもしれない。
なぜか?
一言で言えば、私は私でありたいから。

私には、最悪な組み合わせの禁止令とドライバー ━━交流分析あるいはTAの用語。近々、紹介するつもり━━『存在するな』と『完璧であれ』があって、「できそうもないことには挑戦すらしないよう、自分をし向ける」傾向にある(これ、おもしろいので、実例として別途詳しく紹介したい)。
「WordPressでブログを運営するのなら〜」と始まるノウハウに、ひるんだんだよな。できそうもないって。
で、やらなくても済むような言い訳を用意した。「世にあふれるつまんないブログのひとつになりたくない」って。

こうやってドラゴンの正体を明らかにしていくと、私は私を守ろうとしてるのがよくわかる。
サブパーソナリティたちに感謝する。
事実を事実と認められるようになるまで、私を守ってくれてありがとう。
別の部分が育ったらしい。今朝、起きて、気持ちが変わっていたのに気づいた。
これまで、ふんと鼻で笑い、つまらないと一蹴していたことどもを、やってみる気になってる。


「ブログ運営」というものに、ほぼ1年間反発し続け得たものは「みんなの言うことには一理ある」という裏付けだった。

自分なりの納得感、自分から抱く信頼、これが得られれば、私はやっていける。だから反発し続けたのも、決して後悔していないし、私には必要なことだった。
教訓が得られたんだから、いいんじゃないかな。

晴ればれとした気分で、よーし!また新しくやっていこー!
久しぶりに、ワクワクしてるよ。

主人は、私に「自己肯定感が高くていいなぁ」と言った。