遺された絵たち

2016.11.2

幼児は、クレヨンで落書きをする。というイメージが、私にはある。小さな子は、どうして絵を描くのだろう? 言葉のかわり?
言葉を話し始める前の幼児は、イメージの世界に住んでいるという。

小さい頃から好きではあったけど、必要に駆られたかんじで絵を描き出したのは、中学校時代から。きっかけなどなかったと思う。たぶん、描かずにいられなかったんだろう。自己の表現として、言葉にならないものを表すやり方。

大人になってから、また描きたい気持ちになった。日付を見て驚くけれど、もう10年ほども前のこと。

カウンセリングを終える直前から、再開していた。若い頃のように頻繁にではなかったけれど、描きたい!と思って描いた。
ファッション誌の切り抜きをストックしておいて、そこからその時の気分にあった顔を探した。そう、顔。女性の顔を好んで描いた。 女性の顔

胸に、想いがあった。その時々で、突き上げるようであったり、たぷたぷと波打つようであったり。それに見合う顔を探し、鉛筆で線を描いた。描きながら、心を遊ばせた。
あなたは誰なの? どうしてそんな表情をしているの?
鉛筆の線がキマルまで、問い続けた。納得できると、線をほぼ消し、色鉛筆で色を重ねていく。色を重ねる作業が、とてもとても好きだった。
休日の朝、寝起きから始めて、夕暮れ前に描きあがるかんじで。その間、お酒を飲み続けていた。

あの作業は、セラピー。自分自身と対話する時間。
部屋の外では決して出すことのない、他の人には見せることのない、自分自身の壊れやすい部分を描いていた。

もう描くことは、必要としていない。あの頃描いたものが、10数枚、今も遺されている。