いないことにされた子供たちへ

2016.10.27

誰の内にも、傷ついた子供がいる。私はその子たちに、とてもよく反応する。

先に、できれば 精一杯なのに?子供に悪影響与えるなとか無理!を読んでいただきたい。主に、若くしてお母さんになった人、不安でいっぱいだからピリピリしてしまう人へ、届けばいいなとの思い。それから、すべての、自分のせいで子供がこうなってしまったとの想いを抱えるお母さんたちへも。「あなたは悪いんじゃないよ」と言いたかった。
それを踏まえて、続きの話をしたい。今回は、すべての、大きくなった子供たちへ。

inner-child

子供のときは、ほとんどの子が親の顔色を伺って過ごす。私自身は、抱きしめてにあるようだった。親から愛されたい、親の要求に応えたいと願っているものだ。相手がどんな人間であろうと。最悪は、心を壊してしまう子もいる。小さな、狭い、家族という空間に囚われているせいもあると思う。比べるもののないところでは、自分の頭で考えられるような歳になってさえ、おかしなルールをおかしいと気づくことさえ難しい。
無理な要求、到底不可能な期待も、それができないのは自分が悪いからだと思い込む。親同士の仲が悪ければ、自分さえいなければいいのではないか?とさえ思い込む。子供とは、そういうものだ。

父親の暴力を受けていた女の子がいた。大柄な、酒に酔った大人の男に殴られ続けた女の子は、大人になる頃には心を壊していたけれど、留学して立ち直った。彼女が20代、その父親が亡くなった。彼女は、ブログで、父親への愛を語っていた。
親がどんな人間でも、たいていの子供が、親への愛を持っている。冷静な判断で、親が悪いことがわかっていてさえ。

子供の頃の環境が及ぼす影響は、しかたないことなのかもしれない。私が伝えたいのは、そこではない。
大人になってからのケアが、本当はとても大切なんだよ。これが、本当に伝えたいことだ。

子供の頃がどうであれ、大人になれば、親の庇護下を離れる。経済的な意味でだが、精神的な意味での方が早いだろう。そうなってから、ケアを始めて欲しい。大人と言っても、中学生ぐらいなら、もう始めてもいいのかもしれない。自分で決断することができるようになってきてるからね。
私たちは誰しも、自分で自分の生き方を決めていると思っている。しかし、心の内に、深くふかく傷ついた子がいると、振り回されている可能性が高い。
子供の頃に受け取ったルールは、通用しなくなっても死守され続ける可能性が高い。たいていのばあいは、環境の変化とともにルールも変更されていくはずなのだけれど、ききわけの良過ぎた子、責任感の強い子などは変更が苦手なようだ。そうでなくとも、心の内の傷ついたまま時を止めてしまってる子は、ルールに固執する。最悪のルールは、私も抱えていた「存在するな」だ。

人は、自分を赦すプロセスを経験した方がいい。たいていの人は、自分の欠点にばかり目を向け、長所を見ようとしない。欠点ばかりが目につくのは「そうであってはならない」と思い込んでるからかもしれない。長所を思いつきにくいのは、自分をいいものと思うことを禁止しているからかもしれない。他者の前で表明するかどうかは、好みの問題だが、自分自身のいいところも好きでないところも、丸ごとを自分自身と思えるかどうかは、とても重要だ。そのままでいいと思う必要はない。ただ、今この時点で「自分にはこういうところもある」と、思えるだけでいい。それが、認めるということ。認めて、赦すということ。もし認められなくても「認められない自分がいる」と、心の中で言えればいい。
自分自身の内にある部分を否定すればするだけ、その部分は「存在を認めてもらえない子」、「いないことにされた子」になる。自分で自分を傷つけることになるのだ。

自分自身を認め、赦して始めて、ケアが始まる。心理カウンセリングを受けずとも、人に備わった自然治癒力が働くだろう。時間が味方してくれるかもしれない。
それでも足りないと思えたとき、独りでは難しいと感じたときは、どうかサポートを求めて欲しい。
自分自身の内にある、傷ついた子供のために。