飾るため護るため

2016.9.8

装身具の類は、大好きだった。
…書き出して、気づく。過去形になってることに。

みんなが持ってる物を持つことに、すごく抵抗があった。私の時代だとブランド物、ヴィトンのミニボストンやフェンディのバゲット、シャネルやディオールやYSLのメイクアイテム、ティアファニーのアクセサリー。コドモが持つにふさわしくない、歴史があり高価でもある物、物、物。
ダイヤモンドも、所有するに抵抗のあるものの一つだった。キラキラと輝く、宝石。高価な、宝石の中の宝石。

『宝石』と言えるのは『貴石』だけで4種類しかないと、どこかで読んだ。ダイヤ・ルビー・エメラルド・サファイア。他は、すべて『半貴石』と言うらしい。
改めて調べてみたら、今は、アレキサンドライトを入れて5つにしてるね。この石は、比較的新しい(=価値が評価された時期・発見された時期)石だと思ったけど。
貴石の色のついたのには、若かったのもあって、興味がなかった。20代前後で好きだったのは、アクアマリンと、ブルートパーズ。ともに青系なのが興味深い。
アクアマリンは、「海の涙」の名が気に入ってた。薄い、水のみずいろ。ブルートパーズは、中でも「スーパーブルー」と呼ばれる、深く濃い碧が好きだった。
青系の石にゴールドを使ったアクセサリーが好きだった。好きだっただけで、似合ったわけではない。

ダイヤモンド。あの、キラキラと輝く美しい石を嫌悪したのは、憧れてたからだろう。私には、あんな華やかで美しいものは似合わないと、じゅうぶんすぎるほどわかっていたからだろう。白い輝きは、肌とも馴染まない。
孤高な石だと思っていた。美しいものがそうであるように、例えば美人がそうであるように、近寄りがたいもの。そう思ってたのに、私に「ダイヤモンドみたいだな」と言った人がいた。驚いて「なんで?」と訊くと、説明してくれた。
ダイヤモンドは硬度の高い石だけれど、一ヶ所だけ弱点があって、そこを軽くつついただけでも割れるのだという。
ダイヤモンドは、何ものにも打ち勝つ強さを持つのだと思っていた。違うと、そのとき初めて知った。まさに、点である、弱点。あんな華やかで美しいものに、そんなモロさがあるなんて…知って、イメージは変わった。
宝石の販売をしていた友人も、ショーケースの上に「コン」と置いただけで、まっぷたつに割れたと言っていた。

十字架のモチーフが大好きで、ペンダントヘッドだけでも、いくつ持っているんだかわからない。20までは確認した。その後、増減してると思う。
なぜ、十字架なのか? ずっとずっと不思議に思ってきた。それが、つい最近、わかった。
イメージワークで、白く光る十字架の形を見つめていたら『謙虚たれ』と言われた。そうか、と、深い納得感があった。謙虚でありたかったのか、と。
謙虚さとはなんだろうか? 調べたことがある。持っていたイメージは、ヘリクダルことだった。自分を下に置くこと。調べてみたら、ちょっと違った。謙虚とは、何からでも学ぼうとする姿勢のこと。そう解釈した。それっていいよね、と思ってる。
以来、人と会うときには意識して、ダイヤモンドを使った十字架のネックレスを身につけている。謙虚さを思い出せるように。強がってもスコーンと叩かれれば割れてしまうぐらいの弱さを持つ、自分の身の程をわきまえられるようにとの望みも込めて。

家から出ることが少なくなって、出ても近所、犬の散歩か買い物かぐらいになった。アクセサリーはもちろん、メイクすらしなくなった。おしゃれだねと言ってもらってた私はどこへ行ってしまったんだろうかと、恥ずかしくなることも。
だけど、こんな自分を好きでもある。
みんなと同じ物を持つのに抵抗があったのは、劣等感ゆえでもあると、今なら認められる。メイクに2・3時間かけ、会社に遅れそうになるほどに洋服選びにこだわってたのは、そうしないと外に出られなかったからだ。毎日が戦闘態勢、みたいなものだった。

装身具の類は、今でも好きだ。アクセサリーは特にだけど、ベルトやショール、靴や鞄も。
好きなのと、なくてはいられないのとでは、違うんだね。