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表現したいと望むもの『ひんやりと静かで透明なかなしみ』

2016.8.15

こんな文章が書きたいなと願い続けているものがあります。
今回は、詩・小説・絵と歌で、自分が求めるもののエッセンスを集めました。

かなしみ

詩:谷川俊太郎

最初に谷川俊太郎さんを知ったのは、中学生だったと記憶してる。『二十億光年の孤独』だったと思う。どちらかといえば、コミカルさを感じる詩。
ここには、別の2篇を持ってきました。

『かなしみ』

国語の教科書に、『かなしみ』があった。ビリビリと電気が走るようなショックだった。

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった
谷川俊太郎『かなしみ』

読んで、もう先生の声なんて耳に入らなかった。
教室もなくなって、私はそこにいた。
周りには、ミルクのような白く明るい靄。灰色のホームと、小さな小屋のような遺失物室。途方に暮れて立ち尽くす。

ずっと感じてきたのは、このかんじだったのだとわかった。
ずっとずっと探していたんだと理解できた。
その気持ちは、いまも鮮明に蘇る。

うんと悲しいわけではなく、まだ泣くほどでもなく、呆然としたかんじ。
なくしてしまったことはわかってるんだけど、それが何か思い出せないかんじ。

『静かな雨の夜に』

時が経ってから、詩集を買った。

いつまでもこうして坐って居たい
新しい驚きと悲しみが静かに沈んでゆくのを聞きながら
神を信じないで神のにおいに甘えながら
はるかな国の街路樹の葉を拾ったりしながら
過去と未来の幻燈を浴びながら
青い海の上の柔らかなソファを信じながら
そして なによりも
限りなく自分を愛しながら
いつまでもこうしてひっそり坐って居たい
谷川俊太郎『静かな雨の夜に』

あこがれでもなく、喪失でもなく、ただ在るということの甘やかさ。
何もなく、すべてがあるかんじ。

満足に近いのかもしれないけれど、そういった望みや充足感でもない。
ただ、今ここに在る。過去でも未来でもない、ここに。

読むと、安全・安心なかんじがする。
平静と言うのかな? 動かない・感じないわけではなく、ゆらゆらと漂うような心の動き。

小説:江國香織

映画化で知ったんだったかな?
男性と女性、別々の作家が一つの物語を別々に書いたと聞いて、興味を持った。
それが江國香織さんを知ったきっかけ。文庫になってる本は、エッセイも含め、ほとんど持っている。とても気になる作家の一人。

『冷静と情熱のあいだ Rosso』

こんなに静かな文章を読んだのは、初めてだった。
なんでもないような日常の描写が積み重ねられている。それなのに、なんだろう? 読中・後の、この気持ちは? いまだに、どう表現したらいいのかわからない。

たぷんたぷんとするかんじ。
激しく揺さぶられるのではなく。
水槽のなかから外を見ているかんじ。ショックも、どこかしら遠い。

阿形順正は、私のすべてだった。
 あの瞳も、あの声も、ふいに孤独の陰がさすあの笑顔も。
 もしもどこかで順正が死んだら、私にはきっとそれがわかると思う。どんなに遠く離れていても。
 二度と会うことはなくても。
江國香織『冷静と情熱のあいだ』

扉の一文。こんなふうにメロドラマふうに始まってるのに、『順正』が誰なのか、どんな人なのか、なかなか出てこない。
私は、この小説の分類に困ってしまう。恋愛小説らしい始まりだけど…書いてあるのは、印象に残るのは、主人公『あおい』の静かで淡々とした生活と物想い。

『ウエハースの椅子』

これを読んで、江國さんの描く世界観がつかめてきた気がした。

 かつて、私は子供で、子供というものがおそらくみんなそうであるように、絶望していた。絶望は永遠の状態として、ただそこにあった。そもそものはじめから。
 だから今でも私たちは親しい。
江國香織『ウエハースの椅子』 

書き出しを読んで、ああおなじだ、と思った。

私もまた絶望と親しい。
影のように、いつも背中に、それはあったから。ふと振り向けば、いつもそこにあったから。

絵:『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』

テレビの美術番組で知って、以来おりにふれて思い出す。あどけなさの残る、はかなく美しい少女の肖像画。

こうした絵は、画家の心象によって描かれる。だから、実際の少女がどうだったかはわからない。その上で、私はこの絵に惹かれる。

Cenci

画像はWikipediaより

諸説、というより、細かなところが、語る人によって違っている。

Wiki で知ってもらってもいいかもしれない。
この絵は断頭の直前のようすを描いたと云われている。父親殺しでの処刑。

力ない、悟りきったような、それでいて優しい瞳に、私の気持ちは吸い寄せられる。
実の父親に性的虐待を受け続けた、一人の少女。
その一生を父親から逃れることができなかった少女。
生きることに疲れたかのような表情。
しかし、なぜこれほど清らかに見えるのか?
後悔がないのかもしれない。
彼女には逃げ場がなかったのだろう。毎日が地獄のようだっただろうから。父親を殺さなければ、殺されていたのかもしれないのだから。

この表情を見て、なんて清らかなのかと感じる。
少女はもう、身体を離れているように感じられる。

歌:Sarah McLachlan 『Angel』

残念ながらオフィシャル・ビデオはライブしかなかった。
アルバムに収録されたバージョンは、最初の一音、重厚なピアノがたまらない。
サラの声も、歌い方も違うけれど、雰囲気は伝わるかな?

歌詞の和訳は、およげ!対訳くん でどうぞ。

内容は、一言で「麻薬中毒」。どこかで読んだんだけど、サラ自身、この曲を作るのがつらかったと言ったようだ。麻薬中毒者の気持ちを理解しようとして苦しんだと。その、心からの理解がなかったら生まれなかっただろう名曲。

私は、祈りとして聴く。深く、ふかく、心に染み込む、昇華された哀しみ。

I need some distraction, oh beautiful release
Memories seep from my veins
Let me be empty and weightless, and maybe
I’ll find some peace tonight
Sarah McLachlan 『Angel』

この気持ちが、わかるだろうか。
逃げ出さずにいられぬほどの気持ちが、わかるだろうか。
絶望にさえ絶望することがある。
それを昇華したのが、この曲。深い、ふかい、哀しみと哀れみに。

心からの理解が、どのように人の心に作用するのか、この曲が教えてくれる。

さいごに:エッセンス

私のなかに、綺麗なものがある。
幼いころにその存在を知って、ずっと守ろうとしてきた。守らなくても大丈夫だと思えたのは、数年前のことだったろうか。
ガラスのように壊れやすいものだった。

主人は昔、HPを持っていた。『nostalgia』というタイトルだった。絵を描いていた。正確にはCGで創っていた。
私にとって本当に残念なことに、もう残っていない。
彼の絵に私は、自分が持ってるのとおなじ綺麗なものを感じた。

私が必死で守ろうとしていた、自分自身の一部分である綺麗なものの名前は『かなしみ』。

かなしみにもいろんな種類がある。悲しみ、哀しみ、愛しみ。
私が表現したいのは、『ひんやりと静かで透明なかなしみ』。単に悲嘆で終わらない、先へ開き広がって行くための哀しみ。
そして、人間というものへの愛しみ。
それを文章で表現したい。表現するには、昇華が必要なのだと、ここに集めたものから教えてもらった。

まだまだ昇華しきれてないですにゃの
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