忘れる前にね
人には誰しも、無自覚に信じているものがたくさんある。
なんでこんなことを言うのか? 私自身への言い訳だ。あざけりでもある。おまえなんぞ、いくらどうあろうとしてもボンビャクの者でしかないんだよと。
「信じるものなんてなくても平気」と、かつて私は言った。本当にそう思っていたから。
信じるものがなくても平気だと信じていた。と言ってもいいだろう。矛盾してる。

なぜ私は特別でありたかったのか。「特別」というより、「個性的」そう少なくとも「とても個性的」であろうとはした。なぜだろう?
改めて考えてみると、それこそが「私」を証明することだと信じていたようだ。
間違ってはいないような気がする。しかし、正しくもないというか……
たぶん手段が間違っている。私のやってきたことは、勘違いだった。何をどうやってきたのかをここで語る気はないし、今語れと言われても無理ないのだけど。
考え方は、正解ではないまでも、全部が間違ってはいないような気がする。
個性とは、“私”を“以外の人”とわけるものだと思うから。
個性とは、 要素の組み合わせ。
要素には限りがあり、組み合わせにも限りがあるんじゃないかと想う。たとえそれが数十ならず億の単位であったとしても。
それが、モノとしての限界なのじゃないかな。
私は、幼く無知で(いや無知はいまだにだけど)必死に何かを欲しがっていた。私は、いったい何をしたかったんだろう? どうありたかったんだろう?
半世紀を生きて、今ここで不思議に思っている。
何をどうしたかったんだか、まるで覚えていない。
あんなに必死で、それこそ必死で、苦しくてくるしくて涙も出なくて体を揺らしてた。あれは何だったのか。なぜ、そうまでして/そうまでなってしまったのか。
かつて私にはしなければならないことがあった。いや、たぶん、たぶんというかきっと、今でもあるのだけど。
さて、私はなにを書き残そうとしたのだっけ?
『人には誰しも、無自覚に信じているものがたくさんある。』なんて書き出したのは、何のためだったのだっけ?
……だからね、結論から・言いたいことから、書かなくてはならないのだよ。忘れるまえにね。
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