触れる蜜月、拘束のない愛
うちのコSiva が私の顔を舐める。
犬の舌は意外とザラザラしていて、しつこくされていると痛い。
顔を舐められるのは、物理的には嬉しくない。サラサラでなく粘度のある唾液は気持ちのいいものではないし、乾くと肌がカピカピにつっぱる。肌も荒れる。
真っ正面にお座りして、じーっと見つめてくるのを、うちでは「ロック・オン」と呼ぶ。
まん丸な大きな目は、とてもとてもかわいい。
徐々に顔を近づけ、あるいはいきなり飛びかかってきて、舐められる。
よじ登ろうとするかのように動く前足がずり落ちるのを、つい支えてしまう。
仔犬だったころに一度やめさせたのだけど、今は許してる。このコの愛情の表現なのかと思うから。
至近距離で見るSivaの、見開かれた目に笑ってしまう。表情が可笑しいからたけど、自分の心を観察すると、それだけではないようだ。
いくつかの色のようなものがマーブルになっているのを感じる。
楽しさと、嬉しさと、喜びと、愛情と、そして少しのパニックがある。
顔を舐められながら、私は困っているけれど、歓びを感じてる。愛しいものを心から愛しいと感じる状況のひとつなのだ。
ハニー・ムーン。胸の奥につぶやき、蜜月な瞬間を私は味わい尽くそうとする。
アーシュラ・K・ル=グインの『ゲド戦記』。生意識の戻らないゲドの顔を、懸命に舐める小さな動物の描写がある。意識が戻ったゲドは、舐めて癒そうとする動物の本能的な知恵に深く神秘的なものを感じたのだった。
物語のその部分を、私は、Sivaに舐められてよりよく理解できたような気がする。
触れること。呼ぶこと。
Sivaは、遊びに興奮して唸りはしても、めったなことで声を出さない。「ワン!」と鳴くのを、数えられるほどしか聞いたことがない。
そんなコが、ときどき、眠っていて鳴く。犬も夢を見るらしい。吠えないコが吠えるほどの、どんな夢をみたのかと案じる。
体に手を触れ、小さな声で「Siva」と呼び掛ける。撫でて「よしよし」と言うと、名を呼ぶよりもよしよしの音に反応するらしく、Sivaは目を開け、私を見る。そしてムニャムニャと口を舐めながら、すぐにまた頭を倒し、眠る。
犬との生活は、至福だ。相互な理解や納得を、よい意味で最初から期待もしないでいられる。
ただただ、このコを理解したい。もし感じることが可能ならば、犬なりに幸福と感じてもらえる日々を贈りたいと願う。
この関係性は、なんて自由なんだろう。
これが癖づけば、主人を始めとして人間に対しても、私は私にできる限りの愛を与えようとし、感じるという受け取り方ができるようになっていくだろう。
拘束のない愛。
さて、顔を洗ってこよう。