やりたいことやってみることにしましたの話
表現の方法は、たくさんある。
歌い、踊り、絵にする。写真を撮る人もいるし、詩を書く人もいる。
私はこうして文章を書く。文章を書くのが、私がしたいと望みやっていきたいと願う表現方法。
ずっと、ずっと、物語を書きたかった。
お話を書くなら、全部作らなきゃ“ならない”んだと思ってた。主人公を始め登場人物たちを、舞台は現実の世界を使ったとしても、出来事は、そこで起こるのは、何か思いついたものじゃなきゃいけないんだと思ってた。
登場人物は、しぜんと思い浮かんだ。彼らは話す。頭の中に、セリフが聞こえる。彼らは笑い、怒り、泣く。誰かを求め、誰かに恋し、切々と胸のうちを明かした。
あるときは彼らはチームで、互いにからかいあい、励ましあってた。
お話が物語であるためには、ストーリーがいる。何か事件、出来事が起こる必要がある。断片的に見えるシーンがつながるためにも、ストーリーという流れがいる。
彼らの生活の一部は見えるのに、彼らが活躍するストーリーが思い浮かばない。これは致命的。
書き始めることは、できる。でも、ストーリーがないから、物語は進行しない。どう終わるのかも見えない。
私には、起承転結のある物語が書けない。
ゲームというのは、不思議なものだ。なぜ、私は何度もニューゲームを始めてしまうのか。
キャラクターを作るのがおもしろいから。そのキャラクターを育てていくのが楽しいから。それだけだと思ってた。だから、あるていどまで育ててしまうと、またニューゲームするんだと。繰り返しくりかえし。
あるとき、キャラクターの背景が思い浮かんだ。正確には、背景まででなく、個性、性格が見えたように感じた。
男性だった。襲われてあわてた私はリキミ、キャラクターは塔から落ちそうになった。「死んじゃう!死んじゃう!」思わず口にしていて、危ういところで助かった。「おっさん、おもしろいな」つぶやいてた。
クールなおじさまのはずだった。見た目は。ナイスなおじさまが、ゲームの都合上、花を摘み蝶を追いかける。そして塔から転落死しかけた。ああ、そんなファニーなキャラクターだったのかと、納得してしまった。
女性キャラクターでも、平行してゲームを進めていた。キャラクターによって、操作している私の気持ちや考えが、クエストで出会う人たちに想うことや、分岐の選択のしかたが、変化してるのに気づいた。
こちらのキャラクターでは人々を助け、あちらのキャラクターでは平気で盗む。
現実の私もまた入れ替わっているかのように、考えることが変わり、感じるものも違う。
興味深い発見だった。
サイコシンセシス(統合心理学)には、サブパーソナリティという捉え方がある。
サブパーソナリティ1|私の内側にいるたくさんの私
そうか、私のどのサブパーソナリティが表に出たがっているかで、ゲームのしかたも変わってるのか。と気づき、サブパーソナリティを想うように、ゲームのキャラクターのを思い描くようになった。
どんな性格? それまでは何をしていた? これからこの世界でどうしていきたい? あなたなら、何を選ぶ? 考えながら進めると、ゲームがより楽しさを増した。
そのゲームが、スカイリムだから。
スカイリムというゲームは、『やり込み要素がある』と云われてる。
たとえば、どんな条件で訪れるかによって、ダンジョンが変わったりする。行けない場所があったり。
人とすれ違うとき聞こえてくるセリフには、特定の条件下でないと発生しないものがある。
メインクエストはあるものの、やらなくてもよくて、豊富なメイン以外のクエストがあり、ただふらふらと旅しているだけでいきなり何かに巻き込まれたりする。
『オープンワールド』と呼ばれる作りで、移動できる道が決まっておらず、大平原で迷子にもなれる。無理やり山を登ったり、川に流されたり。ヒトの家に侵入してみれば、現実に暮らしているかのような日課をこなしているのが見られ、衛兵を呼ぶぞと怒られ、捕まって牢に投獄されさえする。
多数のMOD、有志により作られ無料で提供してくれているプラグインの導入で、さらに豊かな世界へと変えていくこともできる。より美しい風景。四季の変化。飲食と睡眠を必要にし、テントを張ってのキャンプもできる。魅力的なキャラクターを増やしたり、会話をもっと増やしたり。冒険できる土地を増やし、新たなクエストを遊ぶことだってできる。
命を持ち始めた私のキャラクターに、スカイリムで生きるための手段を与えてくれたのは、ゲームのスタートを変更できるMODだった。ゲームをねじ曲げることなく、それぞれの背景設定にあった環境からスタートすることができる。
ここに、世界がある。
環境が整えられ、キャラクターたちは、私の内側でいきいきと生き始めた。
抱えているのが苦しいほどの。想いはとめどなくあふれ、寝つけないほどのエネルギーをもった存在感を主張する。
表現がしたくなった。
彼らの物語を書きたい。
ずっと、物語を書きたかった。完全なオリジナルで“なければならない”と思ってた。だから書けなかった。
舞台は、おもしろい事件は、スカイリムが用意してくれてる。
いいじゃない。不足は借りて、書けるものを書けるように書いたら? そう思えた。
中学生の頃から、書きたいと思い続けてた。やってみて、表現できなくて、できない自分が嫌になって、挑戦しようとすることさえやめてしまった。「こうでなくてはならない」思い込みを少しずつ外して、やっと私にできるカタチでやっていってみればいいんじゃないの?とまでは思えるようになったの。
— nao@NyanChest (@nao_nyanchest) 2018年10月19日
よく考えてみたら、私の書きたいのはストーリーではない。おもしろい事件を作りたいわけじゃない。
私の書きたいのは、“思い”。何をどう感じるか、感じたことを文章にしたいんだ。
おもしろいと感じなぜなのか不思議に思いわからないから知りたいと望んでるのが、現実に起きた出来事と考えや気持ちを書くのは平気なのに、想像した“物語”を書くのはしようと思うだけでスゲーーーーー恥ずかしい。どう違うんだろう。
— nao@NyanChest (@nao_nyanchest) 2018年10月19日
物語を書くのに、不思議なほどの恥ずかしさがある。まぁ、それも慣れじゃない?と自分に言い聞かせてるところ。
サブドメインを用意した。物語を書いていくための場所を、ここ NyanChest とは別にするために。
ここで全部やればいいじゃないかと思ってきたんだけど、なぜか今回はきっぱりと、むしろ積極的に、それがあたりまえのように「わける」だった。
わけて作っちゃったら、この NyanChest が、おろそかになるのでは?の懸念もあったけど、更新頻度という意味では、もうおろそかだから。
やっと、ずっとやりたかったことをやってみる決心ができた。
挑戦だいじ。とりあえず、始めます。
書いてる方たちが、よく言ってる。『とにかく書くことだ』って。そうする。
— nao@NyanChest (@nao_nyanchest) 2018年10月19日