『物語』とはなんだろう?
『ものがたり』が好きです。小説、じゃなく、物語が。自分で言ってて、物語とはなんだろうか?と疑問でした。本を指して言うだけでなく、人から聞いたエピソードも、私にとっては物語。しかし、物語だと感じないものもあります。この違いはなんだろう?
ずっと、答えを探していました。私が感じているものを、どうやったら言葉にすることができるのかと。考え続けていると、ある日ふいに答えはヒラメク。その仕組みは もっとヒラメキをキャッチ!脳にがんばってもらおう でお話ししました。
今回は、以前「物語とは何か?」Web徘徊して見つけてあったものをご紹介して、最後に、私にとっての答えを記します。
私にとっての『物語』ポイント
Twitterで『ポケモンGO!』を知りました。すごくおもしろかったの! 自分でプレイしてみたわけでなく、タイムラインに流れてくるツイートやリツイートが。
どんな人が、どんなふうにそれをしていて、どんなことを考えたり感じたりしているのかを見てて、おもしろがってました。
私が興味をもつポイントは、ソコ。『誰が・なにを・どんなふうに』の部分です。
じゃあ、一般には『物語』とはどんな意味なんだろうか?
Wikipediaにきいてみた
以下、抜粋引用。
- 話し語ること。さまざまの事柄について話すこと。
- 特定の事柄の一部始終を語ること、あるいは古くから語り伝えられた話をすること。
- 文学形式のひとつ。作者が見たことや聞いたことや、または想像を基礎とし、人物や事件について叙述した散文の文学作品
上述のように「物語」という用語・概念は様々な意味で用いられている。
現代日本の若者が「物語」と言うと、しばしば、広辞苑の2番目や大辞泉の3番目に解説された意味、つまり人や事件などの一部始終について散文で語られたものや書かれたもののことを指している。
「物語」と言うと、広義には、他人に向かって語られること、その内容を、広く指している。
Wikipedia『物語』 より
話すことを“物語”とも言うようです。同じページに、下記もありました。
平安時代の文学作品においては、そもそも「ものがたり (物語)」という用例には幅広く「お喋り」の用例を含んでいる。例えば、女房同士の「会話」や、赤ん坊が意味をなさない「声」を挙げるのも「ものがたり」である。
おしゃべりの部分はまだわかるとして、赤ちゃんの『意味をなさない「声」』って…どうとらえればいいんだろう?
さらなる疑問が生まれちゃったいましたが、物語とは、なにかを語ることだって思っていいようですね。
Wikiの『小説』のページ には、偶然のつながりによって話を進めていくのが物語だと書かれていました。
ということは、物語とは
- おしゃべりのように、気楽なものでもいい。
- 赤ちゃんのあげる声のように、意味をなさないものでもいい。
とも解釈することができます。しかし…なんかまだ納得いかない。
ちなみに『語る』とは
大辞林 第三版の解説
かたる【語る】
( 動ラ五[四] )
①順序だてて話してきかせる。言葉で表し言う。 「事件のあらましを-・る」 「今夜は大いに-・ろう」
②特定の物語などを話す。また、節ふしをつけて話す。 「義太夫を-・る」 「光る源氏のあるやうなど、ところどころ-・るを聞くに/更級」
③ある事柄をよく説明する。おのずから示す。 「真相を如実に-・っている」
④親しく付き合う。懇意にする。 「日比ひごろ-・るはここらと思ひ男づくで貸したぞよ/浄瑠璃・曽根崎心中」
コトバンク
3番目の『おのずから示す』に、目をとめました。私が人から聞いたものを「物語だ」と感じるときには、これがあるように思います。言葉にはされていないものまでも、伝えられるかんじ。
物語の要素:変わっていくこと
宮部みゆきさんの『ブレイブ・ストーリー』という本があります。brave とは、勇敢な・勇ましい・立派な・素晴らしいという意味。私、これを「成長物語」と脳内翻訳してました。
私は、物語はすべて“成長”の話なんだと思っています。“成長”とは、かんたんに言えば「時間の経過とともに変わっていくこと」。
Webうろうろしてて見つけたものがあります。
変化がなければ物語ではない
とあるサイトに投稿された、『小説の<習慣>をめぐって』という論文の中の、以下抜粋引用した部分が、私的に「そう!それ!それだよ!」でした。
物語とは、変化である。
どういうことか。
といっても、難しい話ではありません。たとえば、ある困難に屈していた主人公が、その苦難を乗り越える。これだって変化だし、「物語」ですよね。あるいは、恋人関係の成立です。関係を結ぶということは、常にお互いにとっての変化であり、お互いにとっての「物語」です。少し小難しい話をするならば、歴史がなぜ「歴史物語」として成立するかと言えば(つまり、「歴史小説」が読んでいて面白かったり、あるいは歴史の教科書が読み物として面白いのは)、あそこには実にたくさんの変化があるからです。壮大な時間のなかで、数多く変化が起こる。
つまり、そこには数多くの「物語」があるからです。「物語」とは「事件」ではありません。
「事件」によってどう変わったか。それが物語です。
何らかの「事件」が起こったとしても、作中でほとんど変化がないのならば物語にはなりえない。
物語論Ⅰ:物語とは変化である――「喪失と回復」/文章論Ⅰ:書き出しの作り方
「そう!それ!それだよ!」と感じたのは以下の2点です。
- 『困難に屈していた主人公 → 苦難を乗り越える』
- 壮大な時間のなかでたくさんの変化が起こる = 数多くの物語がある
こうして、私自身の関心を引くポイントをピックアップしてきました。
点と点を結んでいけば、線になる。単語と単語をつないでいけば、文になる。しかし、これだ!と思える一文にするまでに、かなりの時間がかかりました。自分の中で熟成させる時間が必要だったようです。
さいごに
物語には、悲劇もあれば喜劇もあります。ハッピーエンドもあれば、サッドエンディングもある。どんなものであるにしろ、私が読み聞きしたいのは、こんなものです。
- どんなふうに苦難に逢ったのか
- どうやって復活したのか
- そしてどう変わったか
- 変わったことで、その先をどんなふうにできそうか
その間の心情が語られずとも、想像できれば完璧。
では、私にとっての物語とは何か?を、まとめます。
私の最大の関心は、これです。挫折や絶望などの苦しみがあり、乗り越えて変化する心がある。何かに憧れ、あるいは何かを望み、手に入れるための課題を乗り越える。
これは、まさに人の人生ではないでしょうか?