望みの本意を叶えるやり方はさまざま

忘れてた夢、願いを、ふいに思い出した。
もし、セッションできるなら、私、毎日幸せに働けるだろう。はりをもって、生きいきと。

サイコシンセシス(統合心理学)をベースにしたカウンセラーは、カウンセラーを「ガイド」、カウンセリングを「セッション」と言うのを好む。

週に5日。10時からと14時からの2時間ずつの枠で、日にお一人ずつでも。毎日でなくても。
住まいのすぐ隣には、貸しスペースがある。ワークなしで傾聴のみなら、ここのラウンジだっていいだろう。セッションをする場所、条件は揃ってるじゃないか。

夢想してた。

waiting

何年も前、セッションを仕事にしようとした。それには、宣伝しなくちゃならないんだと、やってみて知った。
私は、自らを宣伝できなかった。なぜ?
理由はいくつかある。なかでも大きかったのが、お金がかかることと、スキルに自信がなかったこと。それから、ターゲットを絞りきれていなかったこと。

先日、こんなツイートをした。

私の望みの本意は、人に“役立ててもらうこと”だった。こちらから働きかけて“役に立つこと”ではない。
このブログをやってみて、わかった。
こうやって、私は生きてきたの。こんなふうに考えて・感じて、こんなだった。それが、こうやったらとてもラクになった。
自分のしてきたことを書いて、置いておく。通りに箱を置いて『ご自由にお持ちください』と張り紙をしておくような。
ご縁なのか、たまたま見てくださった方がなにかを感じとり、ご自分に活かして使ってくださる。これが、私のベストな望みの叶え方。
@nao アカウントは、この延長にある。

カウンセラーを選んだのも、共通する理由があるんだって気づいた。
やらせる、でない。その人がその人のやり方でその人自身を生きていくよう、サポートするのがカウンセラーだと思ってる。極論すると、私は居るだけ。手出し口出しするのではない、やり方。

見て。と、望む。私を見て。それで、どこかしらなにかしら「いいな」と感じてくれるなら、どうぞなんでも持っていって。と。

ずっと、ずっと、自分自身でいたいと願ってきた。
自分自身がなんなのかわからなくて、わからないってわかって、混乱してさ迷ってあがいてきた。
自分自身でいることとは、なにか? そう訊かれても、明確に言語化できない。少なくとも、まだ。
強いてなら、両腕を広げて「これが私」と言うだろう。そう言えるように、なったんだよ。

夢は叶う。
最速で最適な叶え方は、望みの本意と、自分にあったやり方を見つけることだ。

私を使って、役立てて欲しい。これが、私の望みの本意。
こちらから働きかけるのは、私のやり方ではない。置いて待つのが、私のやり方。
ブログも、ツイッターも、私にあったやり方ができるツール。

一方で、対面でのセッションも、私はあきらめていないし、あきらめるつもりもない。
対面セッションは、私にとって、人が花開くようすをリアルタイムで目にし感じとることができる、奇跡が起こる瞬間に立ちあわせてもらえる場。

生身の人間の奥深くに触れたい。
対面セッションは、実は手段のひとつでしかないことも、わかってる。わかってるから、積極的に叶えようとしてなんだって、わかってる。チャンスの到来は逃さないつもりで、待ってる。

つれづれ

Posted by nao