親を差し置いて…
電話の着信音で、昼寝から目を覚ました。母からだった。
引越直前に会い、引越直後にメッセージをもらった。直接話すのは、3ヶ月ぶりか。
母からの「元気?」に、いつもなら「元気だよ。ママも元気?」と応えて始まる、スモールトーク。
日本語の会話とは、たわいないおしゃべりのことで、英単語の small talk だと思う。
なににでも意味を見つけたがる私が苦手とするもの。
私が好むのは、互いに応答しあう conversation なのかもしれない。
「元気?」に、今回は「幸せに暮らしてるよ」と応えた。
実家から少し離れてしまって、以前ほどに簡単に行き来できるかんじではない。暑さもある。
もう少し涼しくなったら、下のホテルに泊まってみたいと母は言う。
お出掛けが好きだから。娘の家で、ただお茶を飲みながらゆっくりするよりも。幸いここの周りには2・3、母の興味を引きそうな、見に行くようなものがある。
「そう。元気ならいいけれど」話の結び近くに、母が言った。
私は、少しの違和感を感じた。
電話を終えてから、思い返す。
私は「元気だよ」とは、あえて言わず「幸せに暮らしてるよ」と応えたのだ。
だからスモールトークって言うんだよ。ヒトの言ったこと聴いてないし。そう思い、別のことに気づく。
ママは、幸せな暮らしって、わからないんだ…
私は28まで実家にいた。父と母を毎日見ていた。
両親と過ごす家庭は、私の雛形。結婚生活とは、夫婦とは、家族とは…その基盤となるものを、両親から吸収した。
若かった私は、結婚しても幸せではない・夫婦とは必ずしも好きで一緒にいるわけではない・家族とは安らぎではない、という信条を持った。
胸の奥、深いところで、ほんの少し罪悪感を感じた。
親を差し置いて、幸せでいるということに。
母は「苦労してばかり」と言っている。それが母の感じ方。
母が、今現在をさほど幸せに暮らしていない事実は、母自身のものだ。
あれこれ意見したし、懇願したし、提案もした。その上で最終的に━━あきらめというのではなく━━母の選択を尊重しようという気持ちになった。
私たちは誰しも、自分自身を生きる自由があり、権利がある。冷たいのは承知で言うのだけれど、不幸を、幸せにならないことを選択するのもその人の自由であり権利だ。
母の生き方に干渉し続けたけれど、もう望んでいない。
娘として、また同じ一人の女として、悲しく思う。
私は主人と会い「幸せになる」と意志した。
因果というものがあるのなら、不幸の連鎖は、どこかで断ち切らなければならないと決めていた。私がやろう、と。
この人と幸せになるのだ、と、意志し、その鎖を絶ち切った。親たちから自分を自由にした。
結婚して幸せになってもいい。夫婦がお互いに望んで一緒にいてもいい。家庭が憩いの場となってもいい。なら、そうしよう、と。
そして今、主人のおかげでとてもいい生活をさせてもらっている。毎日を穏やかに、幸せに暮らしている。
母とは違って…
いいでも悪いでも、ないんだよね。
母も、私も、懸命に生きている。ただその事実を尊重する。
私の想い、願いは、また別の話だ。
母に、幸せを感じて生きて欲しい。あきらめてないから、これから先、もし母が望み私にできることがあるなら、喜んでするだろう。
私は私として生き、幸せでいるし、これからもっともっと幸せになるつもり。母については、たぶんいつまでも、母の幸せを願っている。
それでいいじゃないか。