ストロークを受け取るシステムとしての…

しば漬けで、おむすび食べながら「これも美学にゃね」と考える。
炊きたてのご飯で握らなくっちゃだから、苦手だったのだけど。あっついうちでなければ、水分が飛ばない。
周りはしっかりめ、カプッと口にしたときにホロリと崩れる中身。これぞ、おむすびの美学!
なんて、やりたくないときにはご飯作らなくても許してもらえる生活をしているから、言っていられるのかもしれない。


クックパッドが流行り始めた頃に、いいものができたなと考えていた。
ユーザーとしてではなく。

主婦が、その存在そのものを評価される機会は稀と言えるだろう。
トイレットペーパーが切れていないのは、床にゴミが落ちていないのは、洗濯済みのパンツが引き出しにあるのは、それをしてくれる人がいるから。
そういった、当たり前のことが当たり前にある、というのに、私たちはすぐに慣れてしまう。
…気にも留めなくなってること、いっぱいあるよね…

毎日の━━うちは違うけど━━3度の食事なんて、どうだろう?
いっちばん悩みどころだし、手間暇かかり、めんどうなのに。

家の中のもの・ことを、外に出す、他人の目にさらすのは、人によっては勇気がいる。
比較的へいきな人でも、気を遣う。だって、ちょっとカッコつけたいじゃないか。
キレイに盛り付けて…ああ、器も選ぶよね、テーブルセッティングしてみたりして。写真の写りだって気になる。
「美味しそう!」は当然ながら、「すごい」「センスいい」だって言われたい。
こんなふうにして、いつものご飯が、特別なご飯になる。

お献立に頭を悩ませ、下ごしらえからテーブルに運ぶまで1時間かそれ以上かかった労力が━━家族は10分ぐらいでお腹に収めるだけだけど━━、評価される。見知らぬ他人が褒めてくれる作品になるのだ。

ストロークは行動を強化する。
なんて言わなくとも、がぜんやる気も出るよな。

他者からのストロークを受け取る機会の少ない家庭の主婦が、いつもやらなければならないことになっちゃってるご飯作りを評価され、よいストロークを受け取ることができるシステムとしてのクックパッド。
よいシステムだ。


私も以前、Facebookに写真を掲げていた。何品かのおかずを作ってた頃は。
引越し後は、またしようかな、と考えてる。ブログに揚げられるじゃないか。
と、ブログもまた、よいモチベーション・ツールと言える。

食べることが好きな主人は、喜んでくれるだろう。
今だって、たまに作ると「豊かな食卓」と言うし、おいしければニパァッと笑う。踊ってたこともあったな。
食べるものは体を作るんでしょ? 主人に元気で長生きしてもらわないと、困るのは私だものね。