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「好きなものだけ」な状況と態度は違った。

食べたものが身体をつくる。毎日の食事に気を遣う人は、私の予想以上にいるようだ。
言葉はどうだろう? 私たちは自分の口から出すだけでなく、頭の中でも言葉を使っている。意識・無意識に使う言葉は、日々、私をつくっていく。

いつぞや「この人は賢いに違いない」と思っている方が、していたツイートを見た。
主旨としては、こんなだろうか。
フォローしている人たちは自分の好みにあう考えを持った人たちであり、いいねをつけるのは同意できるもの。いつの間にか似たような意見しか見聞きしなくなっている。もっと反対の意見も聞いていかねば。
なるほど、確かに、と思った。
そのとき思ったのは、だけじゃない。我が身を鑑みて、もっと積極的に「これじゃいけない」と考えたのだ。

しばらくしてから、果たしてそうだろうか?との疑問がわいた。
好きなものに囲まれて、自分の考えや感覚にあうものを見聞きしようとすることは、イケナイことだろうか?

疑問を持ってみると、いくつかのことに気づく。
ひとつは、自分の影響されやすさ。

━━影響された、という言い方は、受け身だな。反応した、と言おうか。

なぜ、反応したのか?
私が日頃から、すごいなと思う人の言うことだから。
そしてまた、自分自身も「違う意見も取り入れていかねば」と思ったことがあってから。
なんか、後の方の、これってパラドックスな気がする。違う意見を取り入れていかねばならないと、同様に考えている人に賛成している。
…なんだかなぁ。

パラドックスは、置いておくとして、もうひとつ、好きなものに囲まれているのは「いけない」のか?
よく考えてみたら、いいことじゃないか。
いけないのは、好きなものに囲まれて“だけ”しか受け入れなくなること、じゃないんだろうか?
自分とはまったく違う考えというのは、理解ができないものだけれど、否定していいものでもない。理解できないなりに「そういうのもあるんだなぁ」と思えたなら、それは否定にはならない。これができるのなら、いいんじゃないかな。
好きなものだけ=いけないこと、ではなくて、好きなものだけしか受け入れないという態度になってしまったなら、その態度がいけないということになる。
自分が、状況と態度を混同してたことに気づく。

気づいたことは、まだある。
考え癖の、こういうところが怖いなと思った。私は、すぐさま「いけない」と、自分自身を否定していた。
おおげさでもなんでもなく、たぶん自己評価を低くする原因のひとつなんだと思う。自己否定。
だってきっと、反射的に否定という形で反応したということは、癖付いてる可能性が高い。私、今何歳だっけ? 生まれたてから言葉を使っていたわけではないけれど、いつからついた習慣なのか? 10年ということはないだろう。自分に自信のなさを自覚したのが、10代後半だったか。その頃には、やっていたことだと思う。
歳月を想ってみると「うわぁぁぁぁぁぁ〜」ってなる。

言葉は、自分をつくる。
最近気になってるのが、語尾の「ダメ」。これはこうしなきゃダメじゃない?と言う癖が、私にはある。
言いそうになってることに気づけたときは、考える。これがダメだとしたら、私にとっては何がイイんだろうか? すると、口から出るのは「この方がいいんじゃない?」に、なる。
習慣づけていきたい。

ポジティブに、ということじゃないんだよなぁ。
ポジティブ・シンキングは偏っていると思っていて、なぜなら、物事は事実としてあるだけで、働きが肯定的か否定的かだと信じているから。
表裏ではなくて、同じものがどう働いているかという違い。
…それについては、いつかまとめよう。