特別な名前

2017.2.4

クライアントとして通った、心理カウンセリング。
友人に訊かれた。「naoちゃん、いつまで先生のところに行くの?」
ショックだった。思いもよらない質問だった。

カウンセラーとクライアントの間には、クライアントからの依存が生まれる。
一般に、心理カウンセリングでは、タブーとされている依存。なぜなら、カウンセリングは「自助を助ける」ものだから。自分で自分を助けられるようになるには、自立ができなくてはならない。クライアントが育つまでの間を支えるのがカウンセラーで、依存は自立を阻む。
友人に訊かれて、ショックを感じたことで、私はカウンセラーに依存していることを知った。先生がいるから、だいじょうぶ。心のどこかで、頼っていたし、支えとしていた。その事実を突きつけられた。

another

質問。適切な質問にはパワーがある。
訊かれたことに対して、脳は答えを出そうとするのだと云う。即答できずとも、脳は考え続け、答えを出す。

友人の質問は、適切なタイミングだった。私は間もなく、先生に言った。
「卒業します」

私の受けていたカウンセリングは、サイコシンセシス(統合心理学)を基にしており、癒しから成長そして自己実現までをカバーする。そういう意味では、終わりのないものと言える。
あのとき、私は「卒業」を終わりの意味で使った。ひとつの終わり。
でも、わかっていた。もうけして来ません、の意味ではないと。ひとつの段階の、区切りとしての「卒業」。

先生は課題を提案した。おそらくは確認、またはテストとして。
詳細は覚えていないのだけれど、自分の名前と向き合うこと、だった。
我ながら奇妙な反応をしたと思う。とっさに「本名ですか?」と口にしていた。

ルーツが知りたかった。
私は何者であるか。

独り暮らしをしていた私は、実家へ行って母に尋ねた。「私の名前は、どうやって決めたの?」
母は即答した。「あたしが決めた」
ふたつ、候補があって「直子は後家の相だから」やめたのだと母は言った。

母とは別に、父に訊いた。
「俺が決めた」父も即答した。
ふたつ候補があって、というところまでは母の話と同じだった。「直子はダサいからやめた」

なんとも不思議な気持ちを抱えて、自分の部屋に帰った。
眠ろうと、ふとんに横たわって、思い返していた。
ふたりとも、即答だった。ふたりとも、自分が決めたと言った。
私は、望まれていたのだと思えた。それぞれが、父も母も、望んでくれた子どもだったのだと。
直子。この私だったかもしれない、女の子。
彼女を想った。生きられなかった、彼女。
胸の奥からの想いが、安堵を込めて言った。「これで、やっと生きられる」

以来『直子』は、私にとって特別で、大切な名前になった。
いつか、彼女をこの世の中で、実際に生きさせてあげようと思ってきた。
私になれなかった、彼女。私であるかもしれなかった、彼女。