カーリーと鬼子母神について
ふいに思い出されて、とても気になるものがあります。今回は『カーリー』そして『鬼子母神』。
どんな神様か、なんとなくは知っているものの、よい機会と調べてみることにしました。
人から聞いた話、記憶にあるイメージなどは、きちんと調べてみると違っていることもあるとわかりました。
『カーリー』と『鬼子母神』
どこで誰にからだったのか忘れましたが、インドのカーリーは、日本で鬼子母神(きしもじん)とされていると聞いた記憶がありました。間違っていました。
カーリー は ヒンドゥー教、鬼子母神 は 仏教。同じインドという国の、別の宗教に属する別のものでした。
以下、少し詳しく見ていきます。
ヒンドゥー教の女神『カーリー』
ヒンドゥー教の女神。その名は「黒き者」あるいは「時」の意(「時、黒」を意味するカーラの女性形)。血と殺戮を好む戦いの女神。
Wikipedia より
物語としては、カーリーは、戦の最中に激怒した“戦いの女神”の額から生まれています。敵方を残虐なやり方で殺戮し、勝利に酔って踊った。世界を破壊しつくすような激しいその踊りを止めるため(あるいは衝撃をやわらげるため)、シヴァ神が足元に横たわったという。
この物語があって、カーリー像は、たいていはシヴァ神を踏みつける形で作られているようです。主な特徴として
- がりがりに痩せた真っ黒(または青)な体
- 上半身は裸(時にはしおれた乳房をむき出しにしている)
- 首には、生首(あるいは髑髏)を数珠繋ぎにして作られた首飾り
- 腰にもいくつもの生首
- 目は血に飢えて血走り
- 蛇のようにちろちろと出された舌
醜悪とも感じられるような姿で描かれます。
仏教の『鬼子母神』
仏教のヤクシーニー“夜叉”は、例えば、樹木の“精霊”のようなものと捉えてもいいようです。
物語としての鬼子母神は、500(あるいは1,000や10,000)人の子だくさんな母。自分の子どもたちを養うために、人間の子どもをさらっては食べていたようです。それを見かねた釈迦が末子を隠すと、彼女は半狂乱で探し回りました。そして、釈迦に「たくさんの子がいても嘆き悲しむのに、子を奪われた親の苦しみはいかほどか」と説かれた彼女は、改心して子供と安産の守り神となったと云われています。
鬼子母神の像は、
- 天女のような姿
- 子供を1人抱き
- 右手には吉祥果を持つ
のが、主な特徴です。改心後の姿でしょう。
さて、気になるのが手に持っている“吉祥果(きちじょうか)”。一説には「人間の味に似ているから…」などと云われていますが、後からできた話のようです。果物の柘榴(ザクロ)の説もありますが、別物のようです。もしかしたら、実在の果物ではないのかもしれません。仏教がインドから中国に渡ったときに、訳としてあてられた“吉祥果”である、ということまでしか調べしれませんでした。
カーリーと鬼子母神に想う
まったく別のものなので比べるのもおかしいかと思いますが、同じものと勘違いしていたので、ちょっとだけ…
カーリーがまさに神様的な、人間はしないような振る舞いであるのに対し、鬼子母神には、食人は別としても『嘆き悲しむ母』という点で人間っぽさを感じます。お釈迦様に諭されて改心するしね。
ここで、鬼子母神を調べていた際、おもしろいなぁと感じた文章をご紹介します。
わかりやすい説明。不良グループのアタマを味方につけて、学校に平和を!みたいと思いました。そしてまた、心理的にも正しいようにも感じました。悪を悪として排除するのではなく、取り込んでいくというやり方は、サブパーソナリティを育てるやり方と似ています。
また、カーリーの残虐非道ぶり(神様だもんね)を鎮めるために、シヴァ神が行ったやり方も、人の心の内のことと似ています。
人の心の内の話、心理の話は、サブパーソナリティの話の続きとして、また別の機会にお話しさせてください。
さいごに
カーリーと鬼子母神は別物で、鬼子母神の持つ果物がザクロではないとわかりました。
そもそも、なぜカーリーや鬼子母神を思い出したかというと、昔描いた絵が出てきたからでした。
私の内にある“攻撃エネルギー”つまり『怒り』を描いたものです。カーリーっぽいなぁと感じます。