見えないものに対する不信感と開き直り

2016.8.12

私には、いわゆる“見えないもの”に対しての不信感があります。自分にソノケがあるから、よけいになのかもしれない。怖いおもいもしてきちゃってるしね。それに、私の信念「自分の生き方は、自分で選んで決めていくものだ」にも反することになりかねないから。
今回はそのあたりお話ししてみます。

myway

見えないものに対する不信感

見えないものに依存することは、自ら選び決めるのを放棄することで、怪しい宗教や自己啓発セミナーにハマるのと同じだと思ってます。
どういうことかっていうとね、自分の意志にかかわらず、操られる危険性が大!ってこと。
見聞きしたことを、いくつかあげますね。

チャネリングの危険性

チャネリングは、高野山のイタコ、沖縄のユタみたいなやつ(精確には違います)ね。“高次の存在”との交流を目的としてるけど、あなたのそれ、ほんとに高次ですか?どのぐらい高次ですか?なんだよな。
最近お会いした方で、「一時期スピどっぷりだったんだけど」な人がいました。そのテのこと、一通り体験してみたなかにチャネリングもあったと。一種独特の価値観な世界だったと言ってました。「降ろせる人が偉い!みたいな」。
その人は「降ろせるようになった人がだんだんおかしくなっていっちゃうのを何例も見た」のでやめたそうです。賢い判断だと思う。
というのは、私ね…

私は私の道を行きますから

ほんとに怖いなと思ったのは、見えない世界のものとやりとりするようになること。いいものだけではない、という前提でね。
カウンセリングに通い始めた最初の頃に、霊能者でもある先生から言われたのが「すぐ声が聞こえるようになっちゃうかもしれないけど、言うこときかないでね」でした。理由は「よいものだけとは限らないから」。
天使の顔した悪魔もいるってことだね。上述のチャネリングやってみた人が「アマテラスだって言いながら、実際は狐だったりね」と言ったのは、わかりやすい例かも。
話しかけたり、ある種干渉してくるようなものはチカラがある。チカラがあるだけに、言うことは間違ってなかったりするそうです。詐欺師と似てる。最初は本当に利になることを囁くかもしれないけれど、徐々に…。無視することは無理なんだって。だから「『私は私の道を行きますから』って言ってね」と、先生から言われました。
そういったものの言うことをきいてしまうのは、自分で決められなくなっていく可能性があるね。コントロールを失って、操り人形のようになってしまう可能性があるということ。これは、私の信念「自らの選択と決断」に反する。やだー!

それって単なる憑依!

20代の男の子だった。どういう言い方をしてたか、正確には覚えてない。内容は「シンメイ(神命だったかな?)を自分に降ろして一緒に修行していくと、いいことが起こる」と信じているので、増えていって欲しいと望んでいるとのこと。もっともらしい名前だけど、実際は先祖の霊だそうで、私は思わず「それって憑依じゃない!」と言ってしまいました。彼、一瞬カタマッテた。言い方が違うから、思ってもみなかったんだろうね。その後どうなったろう?

見えないものの曖昧さ

本題からはちょっとそれるけど、私自身の経験と解釈をお話ししておきます。

激怒!プライバシーの侵害だってばっ

私の母は、スピミーハー。「だっておもしろいじゃない」と言ってます。霊能者に会いに行く、なんてこともやってるみたい。
あるときいきなり「あんたの前世は男だったんだって」と話し出しました。「そうだよ」あっさり応えた私。「お父さんと漁師してたんだって」に、「うん、そうみたいね」返した後に「なんでそんなこと?」と聞いてみたら、案の定そのテの人の所に行ってきたと。
で、激怒しちゃった。「その霊能者に言っといてっ『お金とって商売にしてるなら、よけいなモンまで視るなって! プライバシーの侵害だっ!」
霊能者っていうぐらいだから、能力があるわけでしょ? 能力ならばON・OFFできるはず。自ら会いに行った母のことならともかく、私は関係ないじゃないと思ったんです。後から考えれば、もしかしたら母が私の話をしたのかもしれないけどね。
わかるからって、言っていいことと悪いことがあるし、やっていいことといけないこともある。そのあたりの判断は、その人の人間性が出るものだと思う。霊能うんぬんにかかわらずなとこだよね。しかも見えない世界のことは、その個人の解釈によるところが大きい。なにかを言い表すのに、言葉の選び方や言い回しを誤ってしまうこともある。
わかりやすいのは、翻訳。映画につける字幕。あれって直訳じゃ、意味わかんなくなっちゃうものだよね。むかーし超訳ってゆうの話題になったな。元々の意味よりも、わかりやすさを優先したもの。

ある?ない?前世・過去生

前世や過去生と呼ばれるものは、あるのか・ないのか? どっちとも言える。何を意味するかによって。
ここで言いたいのは「前世・過去生があったとしても、その私はこの私じゃない」。生まれ変わっちゃったんだもの。
前世・過去生を持ち出して、この生がうまくいかない原因として語る人たちがいる。心理療法での「私がこうなったのは親のせい!」が必要なように、一時的にどこかに原因を求めるやり方が悪いと言う気はないです。私もやったし。だけどね、そこから早く立ち去れたらいいねと思います。いつの生だとしても、過ちを犯したとしても、私たちはこの今を現在進行形で生きていくんだから。
私自身、いくつかの、おそらくは前世・過去生だろうものを視たことがある。ああいったものは「ああ、これはいつかの私だ」と感じるし、そのとき感じる感情もとてもとてもリアル。だけど、実際に証明できる手立てってほとんどないんだよね。自分の内側にある“イメージ”かもしれないし、憑依かもしれない。もう一度言うけど、そもそも生まれ変わったなら、この私ではない。今現在ではない。
パラレルワールドって考え方があって、それについては… 脱線すると戻ってこれなくなるから、また今度いつかね。

影からは逃げられない

不信感と、もっと言っちゃえば嫌悪さえもあったから、スピ関係・霊能関係・精神世界系、かかわってる本人とその周辺の興味津々な人たちを避けてきました。出会っちゃったときには、その後会わないようにしてきた。なのに、表現悪いけど、払ってもはらっても湧いてくる。正直な気持ちを言葉にするとこうなる。
世の中に、こんなにそのテの人たちって多いの?ってぐらい、なんかかんかで出会うんだよねー。
つい最近、あきらめました。たぶん類友なんだろうし、影からは逃げられない。心理学的にはシャドー、生きられなかった半分、いないことにされた自分、そんな言い方をする。内にあるものは外にもあって、向きあわなきゃならないことになってる。ゲド戦記のゲドのようにね。

エホバの証人に教えてもらったこと

お化けとはかかわりたくないけど、宗教には興味があります。信仰するって、どんなことなんだろう? とても綺麗な気持ちだと思う。そのかんじを理解したくて、たまたま出会ったエホバの証人の一人、いいかんじと感じた女性から教えを受けてみました。
数回、うちに来ていただいて、テキスト的なもの読んだ。結果、すべて聖書に書いてあるって考え方に猛ハンバツして終わった。
私が知りたかったのは、“その人”で、“その人の持っている信仰の気持ち”で、「聖書がいかに正しいか」ではなかった。その方の教え方はじょうずでね「テキストにはどう書いてありますか?」と訊くんだ。私の考えではなくてね。質問に沿って答えていく、このやり方って洗脳じゃないか。大げさかもしれないけれどそう思ったし、なにより、自分の意に反することを口にすることがストレスだった。
どうやら、宗教はあわないらしい。学校みたいなかんじがする。決まりごとがあって、それに沿って生きていくなんていや。これも私の信念に反する。

人間から理解する

カウンセリングを学んでよかったと言えることのひとつが、「人は人それぞれ」だと理解できたこと。頭だけでなく、体と心でね。頭だけの理解は、体や心が拒否反応を起こすことがあります。ひっくるめて、理解より受け入れるという言い方をするかな。
それともうひとつ「ヒトはヒト、私は私」という境界、難しく言えば自他の分離、をできるようになってきてることがいい方向に働いて、避け続けていた人たちに対し「もー、いーかぁ」と思えるようになってきてます。あなたがそれに興味があって信じてても、私が脅かされることはない。やっとね、そう思えてきた。で、開き直って「私、シャーマンです」と言うようになった。

シャーマンです

『初級シャーマン』って、資格を持ってる。びっくりだよね、シャーマンって資格が取れる。
私のカウンセラー、先生が霊能者だって言ったよね。正確には(?)シャーマンだそうです。それって何?って説明はかんべんして。私もよくわかってない。
その先生が、カウンセラー養成講座を始めた。自分がなにをどうやってきたのかを理解する絶好の機会だし、私の人生に必要!と思ったので、受講しました。でね、その名称がいつの間にか「シャーマン養成講座」に変わってた。あれには、ほんとにびっくりした。最初から、ビギナー・マスター・シャーマン、初・中・上級のコースがあるってわかってたけど。それを卒業して、認定も(なんとか)もらえて、現在の私は『初級シャーマン』。もちろん、この先、中・上級がある。先生が認めてくれるとなれる。
もう10人以上かな、認定されてる。そのすべてに、霊感的なものがあるわけじゃない。とも言えるし、もともと誰にでもシックス・センスはあるんだよ、って言うこともできちゃうんだけど。その話も、またいつか今度。

日常生活がだいじ

開き直ったけど、見えないものに対する不信感はいまだある。そのぐらいでちょうどいいと思ってます。
うちの母がおもしろがれるのは、自分に関係がないから。不思議だねー、そんなこともあるのー、で済むから。済まなかったこともあるけど。
母と一緒にお出かけしてるときに、ドンッて衝撃で体が揺れた。バイバイ前にお茶しようと言ってたとこだった。なにかが憑いたのがわかった。とたんに具合が悪くなる。苦しいし、気持ち悪いし。そのようすを見て、母は急いで(と私には見えたんだけど)帰ってしまった。母が身近で少なからず経験したのは、それぐらいなのかもしれない。直接じゃないしね。私は、かかわってしまってる。これも体質。
霊的なものに襲われたり怖いおもいをして怯えてた日々に、心から思ったのが「生活がだいじ」でした。朝起きて、掃除して洗濯して、ご飯食べて、眠る。普通の生活。地に足をつけて生きるってそういうことだと思った。ごくごくあたりまえでフツーなことが、ほんとにだいじだって、よくよくわかった。じゃないと、おかしくなっていく。なにが現実かがわからなくなっていく。自分が信じられなくなっていく。

体質は一生モノでも改善できる

私は、心理というアプローチを選びました。不思議な流れでね。悪いことばっかり話しちゃったけど、見えないものに助けられてると思うし、守られてると感じられる体験もあるよ。
先生を選んだのも、病気なのか狂ってるのか判断してもらえる人だと思えたから。どっちでもなかったけどね。
カウンセリングで、地道じみちに自分と向きあうことをしました。波長うんぬんって言うよね。憑依体質は、自分のなかにそれと合うものを持ってるからだって。あれって、捉え方によっては「君が憑依されるのは、君が悪いからだ」と言われてる気がするものです。悪いんじゃないよ。そうじゃなくて、意識の向かう先、アンテナの立て方みたいのを間違っちゃってるだけ。
もし、これを読んでくれた方で霊的な怖いおもいをしてる人がいるなら、波長が合いやすい体質というのがあるって知ってね。自分の存在、あり方が悪いんじゃないって知ってね。たまたまそういう体質に生まれついちゃっただけだって、知ってね。 でね、それっていいものの方向へも向けられるって知ってね。私は今はもう怖いおもいはしてないです。もう何年もね。
いいものがわかることもある。けど、繰り返し言ってるように、なるべくかかわりたくないの。話してきたように、自分の人生は自分で選んで決めて生きていきたいから。あ、でも祈りとかはしてるんだよなぁ… 微妙なかかわり方してるのかも。それについてはもう少し考えないとね。

さいごに

どうして今日、こんなことお話ししようと思ったかな? もしかして… 調べてみたら、どうやら明日は迎え火の日なのね。
毎年、この時期はお化けアンテナがちょっと立つんだ。今はもう困ってないけど、これが体質ってやつだね。