病気かと思った…記憶がないのは時間のスキップ?
記憶がない。そう気がついて、どうしてだろうかと考えました。
考えていったら、生きるのがつらかったのはなぜなのか、おばけや人の肩こりがわかるのや、静けさを求めたのはなぜなのかがわかってきました。
時間のスキップ
先日、主人に「記憶が飛ぶんだけど・・・」と話していて、こんなエピソードを思い出しました。
私の感覚では、お習いごとの場所を離れた時と、家の前に着いた時がくっついちゃったかんじ。一歩踏み出したら家の前だった、みたいなかんじ。
15分ぐらい駅まで歩いて、バスに乗って、バス停から家までまた10分ぐらいは歩いたはずなのに。
柏葉 幸子さんの『エバーリン夫人のふしぎな肖像』短編集に、『街灯のある袋小路』という物語があります。
袋小路を使って、おじいちゃん・おばあちゃんがワープしてるお話です。
すごくわかるかんじがする。つながっちゃってるに違いない!と思ってます。
あっという間に時間がたっていたというのは、例えば集中して仕事してたりすると、誰でも経験のあることですよね? 「あれっ、もうこんな時間…」ってヤツ。これは理解できる。だけど、お習いごとからの帰り道なのに? 逆にボーっとしてるから?
子供のころほどドラマティックではないけれど、今でもちょっとしたスキップは頻繁に起こっています。
これ、どうしてだろう?と話してました。
疲れてしまうことが原因?
生きているだけで、私には刺激が強すぎるようです。そう思ったのは、感情を取り戻したときでした。
長くなるんで ここでは省略しますが、私はずっと感情を閉じ込めて生きてきました。あるきっかけで心理カウンセリングを受けて、閉じ込めていた感情を取り戻してから一番強く感じたのが、「感情は原色だ」。想像してみてください。例えば、壁が真っ赤な部屋で暮らしたら、どんなかんじ?
そのことから、私は過敏な感じ方をしてきたんじゃないかなと考えました。お習いごとに行って、人と接したり新しいことを覚えたりすることが、負担だったのかもしれない。疲れちゃって、ボーっとして、感覚をシャットアウトした可能性がある。
私、痛みや身体的な疲労を感じなくすることができるんです。追い詰められればね。
心がシンと静まる公園散歩
刺激を受け取る 感覚・知覚・認知について
そこで、主人に「子供のころのことは、認知の問題だったのかもしれない」と話してたら、主人は大学時代、心理学専攻だったので
[bal_L1]https://nyanchest.com/wp-content/uploads/2016/06/1186ce04b6b8db7a8d7f404e2dd0b25e.jpg[bal_L2]感覚 → 知覚 → 認知 って、なんかあったな[bal_L3]
教えてもらったのを、かんたんな図にしたので見てください。
雨が降っている日の私を例えに使ってみます。
部屋の床が、なんとなく湿っぽいのを足の裏で感じました。 ⇦ 足の裏に“刺激”があって、湿っぽいという“感覚”を感じます。
もしかしたら、雨が降ってるのかな?と考えます。 ⇦ 過去の経験(雨の日に床が湿っぽかった)と照らしあわせて“知覚”しました。
とたんに気持ちが重くなるのは“認知”の部分、雨が降ると濡れるから外出するのが嫌だな、という気持ちがくっついているからです。
出来事や状況という “刺激” に “反応” している私たち|認知行動療法1
感覚+知覚=認知
では、感覚・知覚・認知とはなんなのかを、もう少し詳しく見ていきます。
感覚とは
刺激に対する感覚器官による情報処理過程のことで、いわゆる五感のこと。ちなみに五感の由来は、アリストテレスの『魂について』という著書だそうです。
- 視覚 : 一定の波長の電磁波(光)を明るさや色として感じる。
- 聴覚 : 一定の周波数の音波を音として感じる。
- 嗅覚 : 一定の揮発性物質を匂いとして感じる。
- 味覚 : 唾液内の水溶性物質を味として感じる
- 触覚 : 皮膚への触感や圧感として感じる。
だけでじゃなくってね。
- 温覚
- 冷覚
- 痛覚
の3つと、さらに以下の3つ
- 運動感覚 : 筋肉などの緊張の変化を身体運動として感じる。
- 平衡感覚 : 身体の傾きや全身の加速を重力に対する身体の状態や運動として感じる。
- 内臓感覚 : 内臓の生理的バランスの変化を身体内部の痛みなどとして感じる。
合計12個にわけることもあるみたいです。
知覚とは
感覚で得た情報を、その個人の過去の経験に基づいて処理を行う過程のこと。
認知とは
知覚情報をもとに解釈する過程のこと。心理カウンセリング的には、思考を指す言葉として使います。『感覚 + 知覚 = 認知』ってことだね。
心理学的には、物事の捉え方、認知の部分を変えることで その人の問題を解決していきます。雨降ると気持ちが重くなるのを、雨降っても気分に影響が出なくする。
そういったことは、カウンセリングを受けて、またカウンセラーとしてトレーニングをしていく過程で、やってきました。
だから感じるんですけど、最近の記憶が飛ぶのは、認知に不都合な点があるからじゃない気がする。むしろ一次体験の段階の問題なんじゃないか、と。
一次体験とは
出典が明らかで、信じるに足る引用を探すことができなかった…
私の飛びがちな記憶によれば、『感覚で受け取って、まだ言語化できていない段階のもの』です。
- 柔らかくて気持ちのいいものを触って、胸のあたりがほわんとする。
- 初対面の人に感じるなにか。
- 「なんかモヤモヤするー!」っていうときのかんじなんかがソレ。
外側の刺激のことではなく、自分のからだの内側では感じることもできるものですね。
感覚で受け取ったものに過敏に反応しやすかったりすると、一般に「感受性が強い」と云われたりする。これ、遺伝子が関係しているという話もあるようです。
もしかしておばけがわかるのもコレ?
『シックスセンス』という映画、ありましたね。
そうじゃなく、五感だけだったとしても、なにをどこまで感じ取るかは個体差・個人差があると思います。聞こえる周波数で、聴力の検査しますよね? カラフルな点々で視力の検査しますよね? そんなもんだと思う。
私は主人の肩のどこが凝ってるのか、触らなくてもわかるんです。これをわかるって言っていいのか、わからないんだけど「ここでしょ?」ってグリグリすると「そこそこ」って返ってくるから、そういうことだよね?
主人だけじゃなく、ほかの人でも見ればわかることもあるし、触るとわかることもある。まったくわからない人もいる。違いはなんなのか、わからない。たぶん、なにか感じ取ってるんだろうってことです。
結論:だから静けさが欲しかったのか
刺激に過敏だから、疲れる。そう考えてみると、ボーっとしちゃうのも、引きこもりなのも、静けさを求めたのも、納得がいく。ずっと生きるのがつらかったのも。もっと言えば、すぐ泣くのも。
感受性って、優れてるかどうかって文脈で語られることも多いけど、私がここで言いたかったのはソレではないです。私の感覚は、多くの人・フツーって言う範囲とは、ちょっぴり違ってちゃったんだねってことです。
[baloon-line-left img="https://nyanchest.com/wp-content/uploads/2016/12/nao.jpg"]この後、最近知った『感覚過敏』があまりにも「!」 と、知りました。[/baloon-line-left]
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コメント一覧
感覚の一番目が味覚になってます。視覚の間違い?
wankoさん、
ご指摘ありがとうございます! おっしゃるとおりの間違いです。直しましたっ。