父の肩で声をあげて泣いた
from ドア to ドアで2時間。
「電車の乗り継ぎがうまくいけば1時間だよ」と笑って言っていた。間違ってはないんだけど、電車に乗っている時間が、最短で、という話しだった。ドアドアではもっとかかっている。だけど、1時間半はかかってるのに気づいてなかった。本当に。
どうしてそんな勘違いをしていたのかというと、両親が「遠いでしょ」と気遣ってくれてたからもあったと思う。心配させたくない、みたいな気持ちが強く働いていた。それから、単純に数字にめちゃくちゃ弱いから。数字って、時間であっても金額であっても、見た次の瞬間に忘れる。というか、見ても理解しない。みたいなところが私にはある。

ちょっとだけ早く着いた。実家の最寄駅に。
ちょうどいいから休肝日にしようかと思ってもいたんだけど、ほんのちょっとの時間を潰すために駅前のお店でお酒とつまみを買った。
先に実家について、弟を待ち構えるみたいなふうにしたくなかった。私がいるというだけで、たぶん弟にとっては威圧感があるだろうから。今回は、———もしかしたら私、これだけ下手にでるのは初めてじゃないか?———力を借りたいのだから。
私が買っていったお酒に、弟はつきあってくれなかった。帰り、駅まで車で送ってくれたから、もしかしたら最初からそのつもりだったのかもしれない。
「結論として、私はここを売っちゃダメだと思ってる。ママが変わらないなら、どうやったって破綻するよ。」
そんなふうに話しだしたような気がする。
今現在の私の住んでいる場所近辺でURを探し家賃を確認したこと。私個人の譲りたくない条件(愛犬と離れていたくない)を話した。
話しながら、父と母の貯金通帳で年金の支給額と引き落としされているものの確認をしていた。お酒を飲み始めながら。
弟が、自分もここを売るのは最後だと思ってる。と、口を開いた。
えっ私聞いてない。と思った。母が言ったことと異なっている、と。だから、相槌を打ちながらただ耳を傾けた。
弟が話したのを聞いて、「同じだ」と思った。考え方が。なおかつ、無理をしない範囲で私よりもできることがあり、きちんと母には提案をしていたのだと知った。
どんな言葉で言ったのかは、もう忘れた。
弟を肯定し、褒めた。いや、“褒めた”のは、いわゆる「うえから」ってやつなんだけどさ。
しかも、奥さんと相談してる。そのうえで決めて、母に提案してる。素晴らしいと思った。
貯金通帳からの収支を計算し終わり、母が前もって書き出してあった項目とのチェックもした結果、私は思わず声をあげた。「なにこれ」
私の感覚ですら、じゅうぶんに生活が可能な経済状態じゃないか。
弟が半笑いしながら言った。「同じことをしたんだけどね。」———それも聞いてない。
だから弟に顔を向け、「もっと早くあなたと話すべきだった。」と言った。「連絡先教えて」と重ねた。
それまでに考えに考えて、自分もそうだったからわからなかった「母はお金の使い方が下手くそ」を理解してから行った。母の話しは、“事実” や “可能/不可能” ではなく、“やりたい/やりたくない” みたいな “気持ち” なんだと理解してから行った。
通帳の数字を確認し、弟から話しを聞いて、よくよくわかった。その通りだったと。しかも、弟が私の期待以上にきちんと考えてくれていて、私は何を心配する必要もないとわかった。
私は、自分がどこまですべきかを考えていた。どこまで無理をすればいいのかを。どこまで自分を犠牲にすべきかを。
つくづくと、私は自尊心が低い。
弟の方が、バランスがとれてる。
そんなことをしていたら、 部屋から父が出てきた。
「こんにちは」と私は言った。認知症の父の今日の状態がわからなかったから。娘としてなら「パパ、来たよ。」とでも言っただろう。
「みんな元気だね。」と父が言ったから。「元気だよ。」と返した。
「わかるよ。みんな揃うのは久しぶりだね。」と父が言った。笑顔で。
そんなふうな顔をする人ではなかった。だから私は緊張した。「そうだね。」と応えて「私がわかる?」と聞いた。いや直球すぎだけど。
わかるという父と1つ2つやりとりをして、でもちょっと違うなと思った。その“ちょっと”とは、どういうことかうまく説明できないのだけど。
足を止めたまま動かない父に「座って。よかったら。」と声をかけたら、私たちが囲んでるテーブルについてくれた。
つくづくと、思うのよ。教育って、こんなに影響するのかと。とともに、時代を想う。
もっとも、気持ちを言葉にすること、そして気持ちと事実は別だというのは、学校では教えてくれない。
思い込みが激しく、事実と気持ちは別だというのをわかっていない母に、私はどう対処したらいいんだろう?
しかし、息子と娘のそれぞれから(たぶん)同じことをされて言われて、母はなにかわかったらしい。「わかったの、(パパの)おやつを減らせばいいんだって。」と言った。いやもうそういうことじゃ全然ないんだけど「そうだね。」と私は言った。まずはそこからかと思ったから。
母の憎しみ。
言葉にできないから。母は飲み込んできてる。父に対しても。
「腹たってもさ、そういうのってずっとって無理じゃん。それをずっとできるって、この人生命力強いよね。」なんてことを、母を目の前に弟に話してた。
母と父の問題を、みごとにうちが模倣してる。私、それが嫌だったのに。父と母のすれ違いを、私はずっと見てきて、それは悲しいからと主人にも話してきた。
頭のいい人なら、話せば理解してくれるものと考えていた。私が愚かだった。
こう言っていいのなら、「カルマ」とか呼ばれるやつかな。私は母の問題を背負いたくなかった。受け継いでいるのはわかってたから、断ち切ろうとしてきた。
だけど結局こんなんなってるじゃん。がんばったけど、間違ってきたんだろう。
ビール1缶ちょっとと白ワインを1本空けた。母には途中でとめられたけど、無くなるまでやめれるわけないじゃん。
完璧な酔っ払いで、帰ろうとした。
父が「幸せでいて」と言った。笑顔で。あんな顔する人ではなかったのに。
「みんなの幸せが自分の幸せだから。」とハグしてくれた。
ハグしてくれた?そんなことする人じゃない。腕を組むことは許してくれたことがあったけど、基本的に触るのが好きじゃない人だった。
酔っ払いの私は泣き出して、もう一度ハグしていいかと聞いたような記憶がある。いいよと言ってもらって、父の肩で声を抑えず泣いた。それを覚えてるのは、耳元でこんな大きな声を出したら大丈夫じゃないんじゃないかと考えた記憶があるから。
私を送るために車を回してきた弟が、おそらく焦れたんだろう電話してきた。
あれが、私の父だよ。
話しをしたり、会ったりした人が、私の父を「厳しい」と言った。言われてはじめて、そうなんだ、と思った。
父は、たしかに厳しかったかもしれない。まだまだ幼い私の心を、意図的に壊すこともした。でも考えて、つまり思い遣ってくれる人なの。その正解は狭いし、だから間違ってもいるけれど、それでも自分以外の人を見て接することができる人なの。まぁ、母に対してはうんと間違ってきたけど。
ある部分では、私はもう父を失ってる。もう意見を聞いたりできないという意味では。
でもさ、あんな優しさ、ずるくない? もうあきらめてたのに。抱かせてくれるんなんて、背中トントンしてくれるなんて、生涯もらえるなんて想像もしなかったかかわりを。
ずっとずっと、私が欲しかったのは、抱きしめてもらえること。
———ああだからか。だから、私はそのとき大声で泣いたのか。
あの人は、本当にすごいなと思うのよ。本当にズルい。
弟と話して、私は独りではないと思えた。望んだとおりに。
弟も、母から電話があるたびに心を乱してることを知った。
帰り道の記憶はないけれど、私に必要なものは、弟から得たし父から与えてもらった。
こういうとき、全体的に感謝したくなって「神さま、ありがとう」と言いたくなるね。
それから「やっぱり神様は私のミカタっ」と。
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