内なる批判者と話しあわなくてはならない

幸せなときって、書かない。
つらいときほど、書く。
自分にとってどちらがいいのかわからない。

つらいときというのは、具体的なできごとの有る無しって、実はあんまり関係がない。
もちろん、何かが起こってそれでつらくなるというはあるのだけど。
たとえばちょっと体調が悪いとか、これといって変わりないはずなのに気持ちが落ちてるとか、とにかく自分が「つらい」と感じたらつらいんだ。そういう意味でできごとの有る無しはあんまり関係ないと言っている。

知識も実体験もない若い頃は、それはそれはつらかった。対処ができなかったから。
歳を重ねてきて、それなりの知識や実体験も重ねてきて……つらさが減ったとかいうようなこと言おうと思ったのだけど、改めて自問してさあどうだろう?と首を傾げてしまった。
つらさの度合いというのは、実のところ変わってないのかもしれない。けど、より深い・強いつらさを感じられるように“なっちゃってる”からかもしれないんだよね。
ほら、慣れってあるじゃない。いいことでも、最初は飛び上がって喜んだのに、何回も経験するとそれほどまでには感じない、みたいな。よくはないこともそんなもんかもしれない。

つらい気持ちって、もしかしたら「ズッ友」なんじゃないか? もしかしたら、血のつながりよりも深く近しいものかもしれない。
江国香織さんの『ウェハースの椅子』が好き。なぜなら、書き出しがこう始まっている。

 かつて、私は子供で、子供というものがおそらくみんなそうであるように、絶望していた。絶望は永遠の状態として、ただそこにあった。そもそものはじめから。
 だからいまでも私たちは親しい。
 やあ。
 それはときどきそう言って、旧友を訪ねるみたいに私に会いにくる。やあ、ただいま。

初めて読んだときに「ああ」と思った。
この「ああ」は、
「ああ、わかる。」なのか、「ああ、同じだ。」なのか。言葉にしようとすると、ちょっと考えちゃうね。

私に言えるのは―――私自身の体験でしかないから誰もがそうだと言うきもないのだけど――、絶望は生きる気力をゼロにする。
死にたいとも思わない。死に“たい”っていうのも、気力がいるんだよね。
ふらふらと意図もなく目指すでもなく、もちろん望むでもなく、死へ向かって行ってしまうかんじなんだ。

んー、脱線したかな? 私はここで何を言おうとしていたんだっけ?

そうそう「気がついたよ!」って話しをしたかったんだ。

最近、私を一番ゆるしていないのは私自身だった と気づいたのも、私にとってとても大きな収穫だった。
気づいたから、じゃあ自分を癒していこうと心に決めた。だって、どんなにつらくとも死ねないなら生きていかなくちゃならなくて。生きていくのなら、少しでもラクになりたいじゃないか。
試行錯誤・自己観察を通じて、気づいたの。ケアすべきは、責められてる自分じゃなく、責めてる方の自分だって。

これ、わかってくれるかな。
内なる声、私を批判する私の一部分の方が、より声が大きい。つまり、より重要度が高いんだ。
責められて、恥ずかしくなってたり、自分を嫌だと感じてたり、反省してたり etc. する部分じゃなく。まず手をつけるべきは、責める方だってこと。
気づいた瞬間に「なるほど」と、納得感が強かった。

これは、私じゃない。
私自身の一部を「私じゃない」と言うのもヘンだけど。
私を責める私は、少なくとも私のばあいは、外から取り込んでる。
いつかどこかで「私を批判するのは母の声」と言ったことがある。私の頭の中で、心の内で、母の声色で私を批判する部分がある、という意味で。
子どもは、多くのばあい、養育者の道徳的(というか、たんにその人間の都合でしかないばあいもあると私は考えている)「これはこうあるべきをなアレコレと取り込むものだ。しかしそれらは、時代の常識やなんかとあわなくなっていたり(たんなる独裁者のルールでしかなかったり)することもある。
本当に大人になったならば、それらすべてを自分で決め直すべきではないかと、私は考えている。

特に、自分にとって自分をつらくするだけでなんの益もないものは。
だから、私は内なる批判者と話しあわなくてはならない。

『内なる批判者』って、どの心理学の用語でしたっけね?

「自分(自身)に対しても、主導権は握らないと。」先生の言葉を思い出す。
―――「無意識に対しても」と言ったんだったかな? もう忘れてしまってる。
先生からもっと学べるものは、間違いなくあった。でも、私の愚かさで、その機会を失ってしまった。それでも、必要なことはすべて学んだと思った。この生でこの私に必要なことは。
つまり、私がこの生で学ぶべきことはそのていど。

内なる批判者も、私をよいものにしたくて幸せにしたくて、その任を負って先進誠意尽くしてくれてる私のサブ・パーソナリティの1つ。
私はそれに感謝し、大切にし、よくよく理解しなくては。
それは、義務と言うより私がしたいこと。

あなたを知りたい。

つれづれ

Posted by nao