生きる意味なんてなくてもいいのに探してしまう
何かをせずにはいられない。
その何かは、息をすることだっていいんだろうに。眠ること食べること、そんなことじゃ、なぜダメなんだろうか。
たとえば、本を読もうか、とか「あれをした」と言えるようなことを探してしまう。
グラスをお皿を洗ったでしょ? 掃除機をかけたでしょ? それなのに、それらを「した」と言えないのはなぜなんだろう? それらをしたのに「何もしなかった」と言ってしまうのはなぜなんだろう?
生きる意味なんてなくてもいい。そう思った。もうずいぶん前に。
それなのに、生きる意味みたいなものを探してしまってる、と気づいた。
生きるのに意味をつけようとするのと、何かをせずにいられないのとは、関係してる気がする。少なくとも、似てる気がする。
それらを探す本当の理由は、たぶん、そうじゃないと時間をつぶせないから。それだけなのかもしれない。
生きる意味は「これだ」と、自分で決めていい。
今日は「これをした」と、何を指して言ってもいい。
そう思うのに、そうなのに、たいそうな何かを理由にしたがる。
あまりにも時間を持て余したあるときから『生きるというのは消費することなのかもしれない』と、考えるようになった。あきらめのようなものを感じながら。
“ただ”消費する、というのを私は嫌った。想えばそれは、たとえば「本を読むというのは、難しいものを読んでこそ言える」みたいなのだった。他者に胸をはれるような価値がないといけないと思ったいたような気がする。……ああ、これって刷り込みだな。
ランク付けは、たぶん何にでもある。
文字のみ(挿絵ぐらいはあったとしても)な物をしか「本」と呼ばないとしても、改めて「童話は本なのか?」とか考え始める。
私的には、ファンタジーは「本」じゃないのかもしれない。漫画より「本」に近いけど。
「本」は頭をよくするような物でなくてはならなかった。
趣味で楽しみで「本を読んでいる」と言ってはいても、読んでいるのは他者に自慢のできるような物でなくてはならなかった。
…いまさらながら…… ああ、そうだったのか……と思ってしまった。
本を読むのは、読み始めたのは、逃避だった。感じすぎる子どもが、つらい現実から逃れるために物語の世界に没頭したのだ。
存在のたしかさを―――それが無自覚なものだとしても―――持てない者は、どこか他へ行こうとするのかもしれない。自分の居場所を探して。
童話などの古くからある物語は、心に力をくれる。古くから伝えられるほどの力をもつ物語なのだもの。
心の力がない・たりない私は物語に依存した。イメージという心の言語を取り込んでいたのだと想う。大丈夫だいじょうぶ生きなさい、と。
生きる意味なんてない。
この世界で、偉業を成し遂げるなんてできもしないし、必要もないんだ。
私たちは、ただ生きている時間を消費している。
やりたくもないことをしなくてはならなくて。
がんばってもできないことをがんばっていたりして。
それでも結局はただたんに生きるため―――お金を手に入れて、食べる物はじめ必要な物を手に入れて、生きるため。
衣食住が、もし無料で保証されていたら、私たちは働くだろうか?
よろこびでもあるのに。働くというのが。
かつて、働くのがよろこびだった。
人はどこかに所属しているという実感を欲するという話しもある。……ああ、それもいいだろうね。バカみたいに緊張しなくても済む場所が、どこかにあるんだろう。がんばらなくてもできることをして、喜んでもらえる場所が。
鏡に映る顔が、疲れている。
厚生労働省の調査による年齢区分では、45~64歳までは中年なのだそうだ。
私は、鏡に映る私を「老いた女」だと思う。どうにも勘違いしようもなく。否認したい気持ちがあったけれど、どうにかして受け入れたい。だって、それが現実だから。
老いてみて思うのだけど、若かったとき私は私なりに綺麗だったんだ。そのときに、今思うような価値を理解できていたら、私の今は変わっていたろうか?
「もし〜だったら」という、起こらなかった話しは、してもしかたないと思ってる。もっとしょうもないのかもしれないけれど、最近は「次に生まれ変わったら〜」と考える。次にどうしたいかを考えるのは、楽しい。
この生ではどんなにがんばっても決して叶わない私にはどうしようもない条件でも「次に生まれ変わったら」ありかもしれない。その想像は、今の“この”私が本当のほんとうには何を望んでいるのかを明らかにする助けになる。私に縛られない私を知ることもできる。
ああ、そうなの。生きることには、欲しがってるほどの意味なんてない。けれど、生きなくてよくなったときに、還るときに持って帰らなくてはならないものがあると信じてる。
どこかではない場所でもないところへ、いつか私は還る。
なんでなのかわからないし、いつからかもわからないけれど、私はいつか“還る”んだと信じて疑わない。
……まぁいいんじゃないかな。そういう希望を持っていても。
そう、いつか還る、それが私の希望。
そうか、こう言ってもいいのか。
「私はいつか還るために生きてる」
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