もっと泣いてもいいんだと思う

2023.4.22

もっと泣いてもいいんだと思う。

ヘッドホンから聞こえてくる音楽に心が震えて。
最近だと「しみる」とか「ささる」とか言うんだろう。私は古い人間だから、それらは軽い言葉に想える。決して間違ってないのは理解できるんだけど、自分が使いたいかと言えば、使いたくない。

もっと泣いてもいいんだと思う。

整形外科でリハビリ受けながら、涙が出てきた。自分の体が感じてる痛み・つらさ・しんどさを、わかってあげられなかったのを知って。他者の手が触れることで、体がゆるみ心もゆるんだ。ホッとしたというか、安心したというか、慰められたみたいなことだったのか。まさに「ヒトの手を借りて」、助けられたのじゃなかったか。

私には、誰かが必要なんだと思う。痛みに耐えかねて、こんなにつらくなってからじゃないと助けを乞えない。ここまでになる前に、ここまでにならないように、お世話をしてくれる人が必要なんだと思う。
誰でも、本当はそうなんじゃないだろうか? 他者へなら、いたわりの言葉もかけられるように。どこかの国の天国のように、長いながい箸でヒトへ食べさせ自分に食べさせてもらうように。

もっと泣いてもいいんだと思う。
がまんがすぎた。がまんをしすぎて、何ががまんなのかわからなくなったのかもしれない。
産まれたときには、誰もが大声で泣くんでしょ? いつから私たちは泣きもしなくなったのか。
…子どもだったときには泣いたでしょ?と言いかけて、私は泣かなくなったのを思い出した。

きちんと“大人”になりたいと望んで“大人”とははたして何なのかを考えてきたけれど、その前に、私はきちんと“子ども”だっただろうか? “子ども”らしさを、持っていたことがあったとしても、早くに失くしたのじゃなかったか。父が「おまえには子どもらしいときがなかった」と言ったのだから。
取り戻そうともしたのだけど、いい歳になってから。そうだよしょせん取り戻せなどしない。

もっと泣いてもいいんだと思う。

子どもらしい子どもでなかったとしても、子どもの無垢は、今も私の内にある。それは誰の内にもあるよ。まして私は、それこそ必死で、それを守ってきたのじゃなかったか。壊れるものだと思っていたから。汚されるものだと思っていたから。
無垢は壊れはしない。汚れもしない。傷つきもしない。無垢は無垢のままある。それを感じる。

もっと泣いてもいいんだと思う。

つれづれ

Posted by nao