放置してた痛みに耐えかねて
モニターがなんか見えないなと思ったら、メガネかけるのを忘れていた。乱視と老眼で、文字を読むのは裸眼じゃつらい。
五十肩というのになっているらしい。「らしい」というのは、診断されていないから。
痛いのは痛いんだけど、これが五十肩なのか?を疑っている。たしかに肩が痛いこともあるが、激痛は二の腕に走る。右腕に至っては、肘も痛い。
放っておけば、時間はかかっても治るものだと思っている。医者に行くのも無駄だと。
もう何年も前になるだろうか、“セリフ・ネグレクト”という言葉をよく目にした。
厚生労働省のネグレクトのページには『本人自身の基本ニーズ(衛生面、服飾面、食事など)を顧みない行為について、セルフ・ネグレクトと称することもある。』と載っていた。
簡単に、必要であるにもかかわらず自身の世話をしないこと、と言ってもいいだろうか?別のところでは、『自分に対する関心がなくなり、さまざまな意欲が失われ』た結果ともあった。
また別のところでは、認知症によって引き起こされるとも。
さて、私もセルフ・ネグレクトの傾向があるなと思ったりする。体の痛みがあるのなら、医者へ行くのが普通らしい。
五十肩は自然治癒するので、病院へ行かなくてもいい。と、私は考えている。間違ってはいないかもしれないが、適切とは言えないんじゃないか?と考え直しもする。
と考えてから数日経ち、痛みに耐えかねてついに整形外科へ行ってきた。そうなの、五十肩は整形外科で診てもらう。
最寄りの、新しくできた病院の前を通りがてら混んでるかどうか見てみたら、待ってる人が1人しか見えなかった。そのまま自動ドアを入り、予約なしでも診てもらえるか聞いた。大丈夫だというので、そのまま待つことに。
診察してレントゲン撮って、また診察室へ戻った。左は、普通ならこのぐらいで治療を開始する状態。右は、さらに悪化していて時間がかかると承知しておくようにとのこと。
これではっきりと五十肩と診断された。二の腕の痛みも「こっちまで響くんだよね」と先生は言ってた。
翌日のリハビリと、2週間後の診察、どちらも予約を入れてもらった。
ところで私、3日後にインプラントの手術なんだ。今日処方された湿布に痛み止めとかなんとかの効能のあるやつなんだけど、貼っててもいいんだろうか?を訊いてからにすべきか? 手術だってのは、整形外科では言ったんだけど、先生聞き流してたな。当日は貼らずに行って、歯科の方で言えばいいか。
リハビリに行ってきた。理学療法士という仕事をされてる方にお会いするのが初めてなので、楽しみにしていた。
何をしたのか? 右だけ、肩周りをもみほぐしてもらった。「一時的なものですね」とは言われたけれど、楽になった。
それよりも… 自分が我慢をしてしまってたとわかって涙が出た。
どんな言い方をすれば、私の感じたかんじを言い表せるだろうか?
他者に触れてもらうことによって、自分では自覚できてなかった何かを感じ取れた。たとえば、無自覚に入ってたリキミとか。
なんて言うか、自分をかわいそうに思うような気持や、体がわずかなりとほぐれていくのと同時に心もほぐれるかんじとか、こわばりがゆるんでホッとするようなかんじとか。言葉にしようとすると、いくつかの異なるもののようになるけれど、感じるかんじ的には同じもの。
心の言葉はイメージだと云われている。体の言葉が何なのか聞いたことないのだけど、“感覚”なんじゃないだろうか。それを初めて意識したかんじがした。不思議なかんじだった。
私たちの頭・体・心のつながりは、断たれている。もちろん人にもより、程度にも差があるのだけど。私個人の頭・体・心のつながりが弱いなとは意識しているのだけど、密接にしていく・していこうとすることによって自由になる何かがある気がする・かんじがする。
もっと意識して体を感じる時間をとらなくては・とりたいなと思った。
ともかくもリハビリには、週に1度通うことになった。
セルフ・ネグレクトは前提に『自分への関心を失って』があるとすれば、私は当てはまらないと思う。私の問題は、自分のリミット設定がおかしいがゆえに起こっている気がする。どこからが“我慢”になるのがわからなくて、五十肩を悪化させてしまったように。
理学療法士さんには「ここまで我慢しちゃう人も珍しい」と言われた。お医者さんにかかる適切なタイミングを、どうやって見極めればいいんだろうか。これから先、もっとあちこちガタがくるのだろうから、病院へ行くというのをもっと気軽にしたいものだ。