整理のタイミング

雨が降ると、心が鎮まる。心が鎮まると、文章を書きたくなる。

心が「鎮まる」と文字にしてみて、そうなんだけど/なにか違うと感じている。
「沈む」の方が近いかんじがする。近いんだけど、私の感じているかんじはたぶん一般に多くの人の使う言葉の意味と少し異なるんだろう。「沈む」をあまり良い意味にイメージしない人も多いだろうから。

私の感じているかんじは… たぶん普段はもう少しテンションが高いというか、心の位置というのがあるのならもう少し高い場所にあるかんじ。今は、少し低い位置に"沈んで"いて、落ち着き、鎮まっているかんじ。この位置に心があると、心の中にあるものが浮上してきやすくなる。普段は意識していないものが意識の領域に現れてくる、みたいな。あるいは、表に現わそうとするパワーみたいなものが湧いてくるというか…
ともかくも、"いつも"とは違う。内省的になる、と言ってもいいかもしれない。でもそれだと私にとっては、自分の内側をのぞき込むかんじのイメージで、内側から外へ向かうこのかんじをうまく言い表せていない。

私は今私が感じているこのかんじを一言で言い表す言葉を知らない。

Skyrim SE より

PCのクリーンインストールをしたい。

Windows 11 が出てしばらく、試してみるためにパーティションを切った。1台のPCでWin10と11、両方を使えるようにしたのだ。
元のCドライブはWin10のまま、新たに作ったEドライブでWin11を動かしている。

私の使っているていどのもの、遊んでいるゲームも、Win11で何の問題もなく動作するのを確認した。
“検証"をしたわけではない。ろくな知識もない私に、検証などできるわけがない。自分が「問題ない」と感じられたのを確認しただけ。
確認ができたから、もうWin10は必要ない。パーティションを切っている意味もなくなった。第一、分けたことによってPCそのものの起動が遅くなってる。それぞれに重複して入ってるものもある。

ゼロにしたくなるときがある。

あまり良い癖だとは思っていないけれど、ゼロにして、すべてをやり直したいと望むときがある。
文章を書いていてもそう。まとまらないな、とか、うまくいってないかんじがすると全部を消して丸ごとやり直す。
目から入る情報に、私は強く左右されてしまう。だから、白紙にした方がいいと思うのだ。段落を入れ替えるとか、どこかだけを消すとか、そういった手段もあるのは知ってる。知ってるけど、うまくできない。

人間関係もそう。疎ましくなると、縁を切りたくなる。
いつだったろう? 一番大きな整理は、比較的若い頃にした。自分が変化していた。私を大切にしてくれない人たちとの縁を切った。相手が私を本当のところでどう思っていたかは関係がなかった。私が「大切にされていない」と感じるかどうか。
中には、今となって思い返せば、あの人はあの人なりに私をとても大切に思ってくれていたのだとわかる人もいる。それでも、私は後悔していない。ひどい言い方・思い方なのは承知の上で、それ以降の私にとって彼らは必要ではなかった。

人を、必要かどうかだけで判じるのは間違ってると知ってる。一時的に疎遠にでもしておいても良かったのだとは思う。でも、それは私のやり方ではない。私ではない。
私は私のやり方を決意し実行することで、私自身でいた。だから、自分でも不思議なほどに後悔していない。

変化していく自分に対応するため。

たぶんそういうことなんだと思う。私はなにより、自分自身でいるという感覚を大切にしている。
一般の善悪、他の人にどう言われようと思われようと、私には私の正しさみたいなものがある。「みたいなもの」であって、絶対の"正しさ"ではない。私のすることは、私が考え、選択し、決断したものでなくてはならない。そう思っている。すべては私自身であるために。

自分で考え選択決断したものは、間違ったとしても他者のせいにできない。自分自身とその人生にまつわる物事を、他者のせいにはしたくない。誰かのせいにしているうちは、私は私を生きていなかった。
私が私自身であるというのは、私が私を生きるということなのだ。少なくとも、私にとっては。

この私は変化してきた。これからも変化していく。私の内側から自然発生的に生じるものもあれば、外側の環境などとのかねあいでしていく変化もある。
なにかを整理したくなるとき、私は変化している/したときなのかもしれない。
『外にあるように、内にも』とサイコシンセシスではいう。どちらがというのは問題ではなく、むしろ包括的な話しなんだ。私にまつわる範囲で区切っても、すべての物事はどこかしらでつながり、ゆえに一体であると想う。"私"でつながっている。だから"私"が一体にするんだ。

ここでいう「他者」「誰か」には、私自身も含まれる。
考え、選択し、決断するというのをしていなかった頃には、良くない・悪いなにかが起これば、自分のせいにもしていた。私が悪かったんだ、とか。
なにが誰が悪いかなどは、問題ではない。そういうことじゃない。いつからか、そう思えるようになった。後悔をしなくなってからかもしれない。"私"で包括的に考え・感じられるようになってからかもしれない。私自身を生きるようになってからかもしれない。

もっと単純で具体的な話しをするつもりだった。

あれもそれもタイミングみたいだから、PCをクリーンインストールしようか。っていう話しをするつもりだった。決意するために、頭の整理をするつもりだった。「あれもそれも」のあれ・それを具体的に言葉にしていけば頭が整理されるから。なのに、なんの話しになったんだ?これも雨の日効果。

書いてみて「そうか」と思った。
そうか、つまり人生の転機か。

書いてる間、リピートでずっと聞いてた。

エッセイ

Posted by nao