引越しを想像したらまたひとつ考え癖をみつけた
犬と散歩しながら、主人と、たわいない話しをする。
最近はいつもこのコースを歩いてるよ、とか。この前あの辺でこんな人がSivaをかわいがってくれたよ、など。報告は、過去のこと。
このあたりに、これからお店ができるね。未来の話しも。
私は、この街をとても気に入っている。
これから先のこと…
とりわけSivaをかわいがってくださった、工事現場の警備さんの姿を見かけなくなった。完成間近なのを知ってる。変わりゆく街。
主人の仕事環境も変化しているようで、ストレスを溜めてるようだ。異動を希望してる。
「もし異動になったら、また引越でしょ?」何度となくしてる定型句を口にした。
その瞬間に、自分の心にそこはかとない期待があったのを感じた。主人もここを気に入っているから。
「そうだね」何気ない返答に、私は黙った。
嫌だ、と思ったのだ。
変化は必然。
これまで、3年周期で引越してきた。引越したくないと思うのは、ここが初めてだ。
嫌だと思ったとき、私の脳裏に広がった景色があった。一度だけ行ったことのある場所。あそこには住みたくないと思った。
なぜ?と、さらに考える。なにもないから。ここにあるものが、あそこにはない。
あるとないがわかるって、差を埋める条件を考え始めた。
これがなくとも、こうすれば私は困らない。さらには、今ここにないあんなものが手に入るかもしれない。
そんなふうに考えていたら、楽しくなってきた。
心理的に、私たちは変化を嫌うと云われている。自分が変化するのは嫌なのだ。
たとえば、国が、制度が、特定の誰かがこうなってくれればいいのにと思うのは、自分が変化したくないことの反映とも捉えられる。
なにが変化を嫌がってる? 自分の内側を覗き込んでいると、変化した後が今よりよくなれると想像できていなかったことに気づいた。
ここにある、綺麗さ・快適さ・静けさを失う前提で、変化を考えていた。
そう気づいたら、ありにすればいいんじゃないかと思えた。私は、自分の可能性を閉ざすような想像をする必要などない、と。
そもそも、引越からして、いつになるのか実現するのかもまだ未知な未来の話しをしているのだし。
なぜ、悪い方へと考えなくてはならないのか。
あきらめさえしなければ、常に可能性はある。もっともっとと望むことができる。なのに、こうやって未来の幸せを思い描くことを制限し、自分を閉じ込めようとするんだな。可能性は、できる限り開いておきたい。
またひとつ、自分の癖に気がついた。
Samantha James – Waves Of Change