どのぐらいたくさん実験するか。観察できるか。
人との距離の取り方や、やりとり・コミュニケーションについて、よく考える。
母は、娘を外で遊ばせるのを嫌った。「近所には悪ガキしかいない」そう言ったのが、記憶にある。
子どもの頃の環境は、親しだいなところはある。自分がどんなふうに育ったのかは、いまさら変更のできない事実ではある。しかし、大人になってからの生き方は、自分で選択し直し創っていくものだと思ってる。
いい歳になって「こういう育ち方をしたから…」と、間接的であれ親の“せい”にするのは間違ってると思ってる。
人格や性格などは、育てられ方も影響するけど、その子の生まれもっての傾向もあるんだと思う。
私自身を想ってみると、絵を描いたり、おままごとや人形遊びや、本を読んだりと、家の中で遊ぶのを好んだ。これは事実。
積極的には外に出されなかったことと、家にいるのを好む傾向が相まって、今の私がある。
学校は、苦痛でしかなかった。当時は、そういう言葉では考えていなかったけれど。
常に違和感を感じ、10代も終わり頃には「早く社会に出たい」と望んでいた。
社会に出れば、なにかが変わるのだと信じていた。
なぜ、学校が苦痛だったか?
馴染むことができなかったから。
その根本には「私が好かれるはずがない」という信念があった。
どこでそうなったのかは、わからない。それこそ、生まれもっての傾向が強化されただけかもしれないしね。
表立っては、同級生たちを、野蛮で子どもじみていて下品だと思っていた。バカばっかり、と。
小学生━━4年生ぐらいだったかな?━━で、そう考えていたよ。はっきり覚えてる。
「私は、あなたたちとは違う」という考えは、言動にも表れるし、勘の鋭い子どもという生き物には伝わるものだ。「あなたが違うのなら、違くしてあげる」と、なるだろう。
そりゃ、孤立するよね。
交流分析・TAが云うところの『人生脚本』とは、こんなふうにして、できていく。
小さい頃から多くの人とつきあってきた子どもは、人見知りしない大人になるか?
よく考えることの一つでもある。
これまで、その答えは「Yes」だと思ってきた。どうやら、間違ってたみたい。
「えー、この人も?!」が、自分を人見知りだと言う。どんな部分を指して言っているかは、それぞれなのだけど。よくよく思い返してみると「人見知り? しないねぇ」と言う人に会ったことがない。
もちろん、私も、人見知りだよ。
自分の人見知りを、子どもの頃の環境や育ち方が原因だと考えてきた。当たってないわけじゃないだろうけど、正しくはないのだと考え直す。
きっかけは、ネット上で見かけたやりとりだった。
『これまで自分は人気者でコニュニケーション上手だと信じてきたが、どうやらコミュ障らしい』という話。相手が喜んでいると、自分のことをおもしろい人間だと思っていると、信じていたが、とんだカンチガイ野郎だったと気がついた━━という内容だった。
勘違い。そっか、だった。
コミュニケーション下手な人を、いくつかのタイプに分類することは、できると思う。でも、やらない。その手の情報は、山ほどあるだろうしね。
なおかつ、自分を(それなりに)冷静に、客観的に評価することができないでいるならば、タイプ分類したところで、こっちの勘違いからあっちの勘違いへと移行するだけで、何もならないんじゃないかとも思うし。
せっかく勘違いするなら、自分を幸せにするような勘違いをしたい。
「この世界は、私の思い込みと勘違いでできている」と、私はよく口にする。
私自身、コミュニケーションが上手だなんて思ってない。下手だよなぁと、頻繁に思う。で、上手な人を探したんだ。お手本にしたいじゃない?
私の狭い世界には、いなかった。コミュニケーション、なんて大きくくくってしまうとね。
この人のこういうところが素晴らしいな、や、あの人のあんな部分を素敵だと思う、は、ゴロゴロある。そういう部分を見習って自分のものにして、やっていくのがいいんじゃないかと結論づけた。
あとは、試してみるかどうかだよね。
試してみる、というのは、科学的なことだと思う。実験と同じ。
こういうシーンで、こういう人に、こんなふうにしてみたら・言ってみたら、どうだろう?━━条件を特定し、得られる結果の仮説を立て、やってみて、データをとる。得られたデータを積み重ねて━━何度もやり方や条件を変えて試してみるのね━━、仮説を検証して、上手くいっていないのなら、仮説を立て直し…
観察する、という態度がいるよね。
人と接することを、ただ怖がっているだけでは、何も変わらない。自分がラクになれない。
コミュニケーションが下手なのだ、を言い訳にして何もしないでいては、自分がラクになれない。
傷つくことを恐れるな、なんて言う気はない。だって、怖いじゃん。そんなの当たり前じゃん。
ラクになりたい。それだけで、やっていこうかなって気になれるな。
そもそも、コミュニケーション上手になりたいと思っているなら、それは何のため?