「歳相応」に反発してたけど、なんとなく納得してしまった。
「ヒトと違っていたい」「個性的でありたい」と願ってきたから、「流行?追う方がダサいんじゃない?」「常識?ハンッ」と思ってきた。
「みっともない」や「歳相応に」に、反発してきた。
だけどさ、よくよく思い返せば、それはそれでステレオタイプとも言える。
美容院に行くと、何冊かの雑誌を出しておいてくれる。美容師さんの手元を見るのが好きだったから、手に取ることはしてこなかったんだけど、最近では待ち時間にパラパラとめくるようになった。
理由はふたつ。ひとつは、以前みたいに雑誌を買わなくなったから、物珍しくなったこと。もうひとつは、出される種類がいつの間にか変わっていたことに気づいたから。
ふたつめの理由について、ちょっとばかりのショックを感じなくもない。ああ、私、歳をとったんだな、というショックだ。これって普段あまり意識することのないもので━━折に触れては、あるけれど━━世の中からどう見られているかを、嫌なかんじで意識することになる。
オレンジページって…
子供がいたり、家庭の主婦だったりすれば、あたりまえに目にする、むしろ馴染みのあるようなものなのだろう。世間一般では、ごく自然な推移なのだと思う。
家にいても家事らしい家事もしない私にとっては、衝撃だった。
女性向けの雑誌は、『モテかわOL』が『デキル女の〜』になったり『家庭と仕事の両立』とか『今日のお弁当』はたまた『しっかり家計簿』などなどへ、見出しが変わっていく。
…これに、女性の華麗なヘンゲを見るのだけれど、その話はいつかどこかでしよう。
ずっと願っていたように、普通でない私としては、世の中でどうありたいだろう?
ブログを始めたことで、精神的な家ごもりの期間を、いつの間にか脱していた。
外で働かない、家にいる。というのは変わらないのだけれど━━引越を控えているのもあって、新たな環境でどう暮らしていきたいかを考えてるのもあって━━改めて、自分の年齢を想う。
ファッションに関しての「歳相応」という考え方が嫌いなのは、メディアがススメるようなものを好きではないから。ただそれだけなのかもしれない。
30代でミニスカートを履くなと言われたときには「どうして? 私の脚はキレイなのに?」だった。似合うなら、どんなカッコウをしていてもいいじゃないか、と。
『似合うなら』これは、今もそう思う。
30代の半ば以降、ミニ丈をやめた。似合わなくなったから。そう考え直してみると、年齢と体型とファッションって、それなりにあるのだなと考え直すことができる。
私が反発してきたのはきっと、「◯◯だったから絶対△△」みたいな、そこらじゅうの雑誌の大見出しによく見るキメツケの部分なんだと思う。
会社から帰ろうとすると「今日はどこに遊びに行くの?」と、よく訊かれた。「スーパーに寄って帰るだけよ」と答えていたけれど、あの頃みたいな、いかにもアソビニンな雰囲気もなくなった。年齢のせいばかりとは思わないけれど、年齢によって、というのも確実にある。
それは事実だな。
ファッションとしては派手なイケイケ好みだったのが、気持ちの上で品を欲しがるようになり、生活が落ち着いてナチュラルが楽だと知った。これを歳と言うのなら、歳をとっていくことは悪くないものだなと感じる。
各年代、私にとっての “今そのとき” を、好きなようにやり切ってきたように思う。
で、これからを、どうしようか? どうしたい?