春だものね、別れもあるね
自分でやっといて、なに言ってんだ、だし、いまさら?な気もするけれど、サイコシンセシス、すごいわ。
自分ではどうすることもできず、どうしてそうなったか行ってみたカウンセリングが、サイコシンセシスのセッションだった。月に1回、毎回「どうでした?」と聞かれ、この1ヶ月間の話をし「じゃ、向き合ってみようか」とフォーカシング(その実はイメージワークにしかなってなかった)をさせられ、ほぼ毎回、ガンガン泣いた。2年間のほとんどは、私にとっては泣くための時間だったような気もする。
そのカウンセラー、サイコシンセシスで言うところの“ガイド”がカウンセラー養成講座を開くと知って、「私のこれからの人生に、絶対に必要」と、通った。
自分が、なにをしてもらったのか、なにをしてきたのか、どうしてしてきたのか、を知りたかった。
講座の受講期間、初級を終え、次の中級が始まるまでの間に、鬱のような状態にもなったけれど、鬱ではないと自分でわかることもできたし、その後でどうしてそんなふうになったのかも理解することができた。
サイコシンセシスに、その心理学が用意してくれた地図に、私の歩んだ道がそのまま書いてあったからだ。
そうして体系的に学んだカウンセリングの知識と技術を基に、こうしてブログに書いてきて、初めて、サイコシンセシスの美しさ、壮大な物語に気づく。身をもって。
Psyche – プシュケ|小さな物語 は、まさに私の物語であり、人間の魂の物語でもある。
私たちは生まれ、子供として親や社会に躾られ、集団に適応することを学ぶ。大人になり━━個人的には本格的なのは30代で来ると思っているのだけれど━━適応に適応しきれなくなる。なぜなら、私たちは、個性的な生き物だからだ。
適応を「雛形にはめること」とするならば、私たちの誰もが雛形になどハマリ切らない存在なのだ。
ここで、心の調子がおかしくなる者もいる。私のように。少なくとも、激しい葛藤や、突然の空虚感、気がついてみたら目的がなかったとか、ふと我に返って今までなにをしてきたのかなどの疑問に襲われる。そう、まるで襲われるかのよう。
イモムシが、躾られた子供期から青年期だとすると、サナギは、中年期。外側から見れば平穏でも、内側で起こっている変化の凄まじさを想像する。
私たちの内的に行われていることは、これでないのだろうか?
私たちは、サナギという自分自身からすらも、自由になり得る。
サイコシンセシスは、パーソナル・シンセシス、癒しの段階から始まる。それまでの適応のために身につけたあれこれを検討し直し、自らの足で立って歩けるようになるよう成長をし直す段階でもある。このあたりが、サイコシンセシスは教育的な心理学と言われるゆえんだろう。
各段階は、階段を上るような一直線ではない。行きつ戻りつもすれば、同時進行もする。サイコシンセシスは螺旋を描いて上昇する。
そう、上昇するのだ。全人的とかホールとか全体性とか言われるようなものを備えた人間へと。
パーソナル・シンセシスから、トランス・パーソナル・シンセシスへの移行は、自然と行われる。私たち人間は、個から始め、全体へと推移する。語弊を恐れずに言うなれば、広がっていく、という言い方もできる。
なんて壮大なんだろう。
貸しホールのテーブルに座り、先生の話すことを聞いていたときには、わからなかった。絵空事のようにさえ、思えたかもしれない。
なにごとも、たぶん、身をもって経験して初めて実感をともなった心からの理解になるのね。
私個人の、癒しの段階は一区切りついている。誇りにも思う。やり切ったとも思えるから。
昨日、約1年ぶりで先生に会い、話を聞いてもらって、問題のないことを確認できた。これから先についての危惧も、パチンとスナップがはまるような感覚を感じ、「やっていけばいいのか。わかった」と口から出た。精度上がったなと思う。
もっとも重大なことに気づいたのは、家に帰ってから。主人に報告をしていた時だった。「もうない」そんな言葉で知ったんだったか。
捨てられでもしたような気持ちだった。
「私に必要なことは、(すでに)すべて教えてもらっていると思ってます」そう言った自分の言葉の、別の意味に気がついたのだ。先生からは、もう教えてもらえないのだと。
先生に、教えることがないわけでは、決してないと思っている。私に、教わることがない、機会がないとでも言ったらいいのか。
もちろん、請えば教えてくれる。しかし、先生から教えようとしてくれることは、この先の私にはないのだと、直感が告げている。
決めつける気はないけれど。でも、私は自分の直感を信じる。
自立と喜べないのは、どうしてだろう?
心細さはないけれど、悲しいのはなぜだろう?
もっと学ぶはずだったのに、と言っている部分がある。
しばらくは、この悲しみを抱いていようと思う。
春だもの、別れもあるよね。